2026年01月06日

ナポレオンは「英雄」か「狂暴な征服者」か?

かつて「伝説の学習参考書」と呼ばれた名著をご存じだろうか
1976年に初版が発行され、多くの受験生のバイブルとして版を重ね続けてきた『大学への世界史の要点』である
作家の佐藤優氏が40年以上、たえず読み返してきた「座右の書」であり「最高の基本書」であり「伝説の学習参考書」であるこの名著が、読みやすく完全リライトのうえ、最新情報も加筆されて『いっきに学び直す世界史 第1巻【西洋史 古代・中世】〈世界の原点を学ぶ教養編〉』『いっきに学び直す世界史 第2巻【西洋史 近世・近代】〈現代世界の源流がわかる知識編〉』として生まれ変わり、『いっきに学び直す世界史 第3巻【現代史 帝国主義】〈国際関係の基礎構造を理解する実用編〉』も発売された

特長は、リニューアル復刊にあたって、「歴史の動き」がわかり「通史」が身につくように「ストーリー」を重視して書き直されていること
執筆者が全編チェックし、「半世紀の歴史学の成果」を反映して「最新の内容」を盛り込んでいることだ
同書第2巻の執筆を担当した市川中学校・市川高等学校教諭の馬場晴美氏が、世界史上で人気の“英雄”ナポレオンの波乱の人生について、大作曲家ベートーヴェンの視点も交えて解説する


■同時代に生きたベートーヴェンとナポレオン

日本で年の瀬の風物詩といえば、ベートーヴェンの「第九」を思い浮かべる人も多いことでしょう

今年も全国でたくさんの演奏会が開かれています

この交響曲第9番《合唱付き》の第4楽章は、「歓喜の歌」とも呼ばれて特に日本人に親しまれています

このように日本でも人気が高い大作曲家・ベートーヴェンは、他にも「エリーゼのために」「トルコ行進曲」、ピアノ・ソナタ《月光》、交響曲第5番《運命》など数多くの名曲を生み出し、世界中で愛されています

そんなベートーヴェンは、世界史上で有名なナポレオンと同時代を生き、実はナポレオンの影響を受けた作品も残しています

国も違えば、実際には会ったこともなかったこの2人に、いったいどんな関係があったのでしょうか? 

ベートーヴェン(1770〜1827)は、神聖ローマ帝国(現在のドイツ西部)のボンに生まれ、主にオーストリアのウィーンで活動した作曲家です

一方のナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世・1769〜1821)は、当時フランス領になったばかりの地中海のコルシカ島の生まれ
ベートーヴェンよりも1歳年上にあたります

ベートーヴェンが生きた18世紀末から19世紀はじめのヨーロッパは、激動の時代でした
フランスで1789年に革命が起き、国王ルイ16世や王妃マリー・アントワネットがギロチンで処刑されます

オーストリアやプロイセンなどのフランス周辺の国々は、「民衆が王を処刑する」という前代未聞の革命が自国に波及することを恐れ、ひっきりなしに軍事介入を行っていました

そうした状況で登場したのが、フランスの軍人ナポレオン・ボナパルトでした

■敵国の民衆にも支持された英雄ナポレオン

ナポレオンは、イタリア経由でフランスに攻め込もうとしていたオーストリア軍をイタリア遠征(1796〜97年)で破るなど、名将として頭角を現します

そしてブリュメール18日のクーデタ(1799年)を起こして政権を掌握すると、事実上の独裁体制を築いたのです

しかし、ナポレオンは独裁者となっても、フランスの民衆にはとても人気がありました
それだけではなく、敵国や被征服地の民衆までもがナポレオンを支持していました

ナポレオンが敵国の民衆からも支持されていた理由は、ナポレオンが自由・平等というフランス革命の“理念”を、絶対王政下のヨーロッパ各国に“輸出”してくれたからです

ナポレオンは1804年3月にナポレオン法典(フランス民法典)を制定し、革命初期の「フランス人権宣言」(1789年)でも掲げられた「個人の自由」や「所有権の不可侵」などを明文化して、革命の成果を継承する姿勢を示していました

同じ時代に生きたベートーヴェンも、ナポレオンを支持していた民衆の一人でした

ナポレオンにとって「敵国」であるオーストリアに住んでいたベートーヴェンも、ナポレオンの自由・平等などの理念に共感し、ナポレオンを支持していました
そして、1804年に完成させた交響曲第3番の楽譜の表紙に、「ボナパルトに捧げる」と書いたのです
ナポレオンを讃える交響曲を作曲した、というわけです

しかし、このベートーヴェンのナポレオンへの思いは、あっという間に失望へと変わってしまいます
ベートーヴェンが交響曲第3番を完成させたたった2カ月後に、「皇帝ナポレオン1世」が誕生したからです

民衆たちの自由と平等を掲げ「フランス革命の申し子」だったはずのナポレオンが、絶大な権力を持つフランス皇帝の座に就いた──その事実を知ったベートーヴェンは、「彼もただの普通の人であったか。これからあらゆる人権を足で踏みにじり、野望のとりこになるだろう」と落胆したという回想録が残っています

ナポレオンに失望したベートーヴェンは、交響曲第3番の楽譜に書かれた「ボナパルトに捧げる」の文字を削り取り、「英雄(エロイカ)交響曲」に書き換えてしまいます

■ナポレオンの絶頂と没落

皇帝となったナポレオンは、フランス革命の理念を広めるという大義のもと、ドイツ、オーストリア、スペインなどに攻め込み、ヨーロッパ大陸の広範囲を支配下におさめました

当初は「絶対王政からの解放者」として各地の民衆に歓迎されたナポレオンでしたが、やがて民衆は「自由」「平等」の考えに加え、侵略者フランスに対する「ナショナリズム」をめばえさせることになりました
そして、ナショナリズムを知った民衆たちからは、皮肉にも「反ナポレオン」の動きが出てくるようになるのです

1808年、ナポレオンが自身の兄をスペイン王に立てたことに対して民衆が蜂起し、スペイン反乱が起きます
フランス軍は、民衆が展開したゲリラ戦に苦しめられ、やがてスペインを追い出されてしまいます

さらに、ナポレオンの没落を決定づけたのが、1812年のロシア遠征でした

1812年5月、ナポレオンは60万人を超える大軍を率いてロシア遠征を開始します

そして9月にはモスクワを占領したナポレオンでしたが、食糧不足による飢えにより撤退、やがてロシアの冬の寒さや感染症に加え、ロシア軍と農民ゲリラからの攻撃などによってフランス軍は壊滅的になり、遠征は大失敗に終わりました

翌1813年、ライプツィヒの戦い(諸国民戦争)でプロイセン・ロシア・オーストリアに敗れたナポレオンは、ついに皇帝位を退き、地中海のエルバ島に流されました

その後、1815年3月にエルバ島を脱出したナポレオンは、パリに戻ると再び皇帝となり、「百日天下」を取ります
しかし、その3カ月後にはワーテルローの戦いでイギリス軍とプロイセン軍に敗れて、退位を余儀なくされます

これによってナポレオンは、南大西洋上の孤島セントヘレナ島に流刑となりました

ナポレオンは、ベートーヴェンに尊敬され、失望されたことに象徴されるように、功罪相半ばする人物だといえます

独裁者で征服者としてのナポレオンは、皇帝就任に絶望したベートーヴェンが予想した通り、国内ではナポレオン戦争を大義に自由を弾圧し、征服地では諸民族に対する抑圧政策を強化しました
そして何よりも、ヨーロッパ中を戦火に巻き込みました

とはいえ一方では、フランス革命とナポレオン法典がもたらした「自由」「平等」そして「個人の尊重」という理念は、ナポレオン没後もヨーロッパから消えることはなく、現代にまで息づいています

その意味で、ナポレオン法典が定められた意義は大きく、近代市民法の原理を規定したと意味づけられています

ナポレオン自身、セントヘレナ島への流刑後に書いた『回顧録』の中で、「余の真の栄誉は40回の戦いの勝利ではなく…永久に生きるのは余の民法典である」という言葉を残しています

ナポレオンはセントヘレナに流されて6年後に亡くなりましたが、その言葉は実現したといえるでしょう

(この記事は東洋経済オンラインの記事で作りました)

かつて「伝説の学習参考書」と呼ばれた名著をご存じだろうか
1976年に初版が発行され、多くの受験生のバイブルとして版を重ね続けてきた『大学への世界史の要点』である
作家の佐藤優氏が40年以上、たえず読み返してきた「座右の書」であり「最高の基本書」であり「伝説の学習参考書」であるこの名著が、読みやすく完全リライトのうえ、最新情報も加筆されて『いっきに学び直す世界史 第1巻【西洋史 古代・中世】〈世界の原点を学ぶ教養編〉』『いっきに学び直す世界史 第2巻【西洋史 近世・近代】〈現代世界の源流がわかる知識編〉』として生まれ変わり、『いっきに学び直す世界史 第3巻【現代史 帝国主義】〈国際関係の基礎構造を理解する実用編〉』も発売された

特長は、リニューアル復刊にあたって、「歴史の動き」がわかり「通史」が身につくように「ストーリー」を重視して書き直されていること
執筆者が全編チェックし、「半世紀の歴史学の成果」を反映して「最新の内容」を盛り込んでいることだ


同書第2巻の執筆を担当した市川中学校・市川高等学校教諭の馬場晴美氏が、世界史上で人気の“英雄”ナポレオンの波乱の人生について、大作曲家ベートーヴェンの視点も交えて解説

ナポレオンとベートーヴェンは同時代を生きた

国も違い、会ったこともない2人でしたが、ベートーヴェンはナポレオンに影響を受けました

フランス革命後に台頭したナポレオンは当初は自由などを掲げ、フランスでも人気があり、敵国・オーストリアのベートーヴェンも彼を支持し、彼のために交響曲第3番を作曲する

しかしその作曲のわずか2か月ごに「皇帝」となり、ベートーヴェンを失望させます

民衆たちの自由と平等を掲げ「フランス革命の申し子」だったはずのナポレオンが、絶大な権力を持つフランス皇帝の座に就いた──その事実を知ったベートーヴェンは、「彼もただの普通の人であったか。これからあらゆる人権を足で踏みにじり、野望のとりこになるだろう」と落胆したという回想録が残っています

ナポレオンに失望したベートーヴェンは、交響曲第3番の楽譜に書かれた「ボナパルトに捧げる」の文字を削り取り、「英雄(エロイカ)交響曲」に書き換えてしまいます

皇帝となったナポレオンは、フランス革命の理念を広めるという大義のもと、ドイツ、オーストリア、スペインなどに攻め込み、ヨーロッパ大陸の広範囲を支配下におさめました

このあたりが「常勝将軍」といわれたナポレオンの絶頂だったかも・・・

当初は「絶対王政からの解放者」として各地の民衆に歓迎されたナポレオンでしたが、やがて民衆は「自由」「平等」の考えに加え、侵略者フランスに対する「ナショナリズム」をめばえさせることになりました
そして、ナショナリズムを知った民衆たちからは、皮肉にも「反ナポレオン」の動きが出てくるようになるのです

1808年、ナポレオンが自身の兄をスペイン王に立てたことに対して民衆が蜂起し、スペイン反乱が起きます
フランス軍は、民衆が展開したゲリラ戦に苦しめられ、やがてスペインを追い出されてしまいます

さらに、ナポレオンの没落を決定づけたのが、1812年のロシア遠征でした

1812年5月、ナポレオンは60万人を超える大軍を率いてロシア遠征を開始します

そして9月にはモスクワを占領したナポレオンでしたが、食糧不足による飢えにより撤退、やがてロシアの冬の寒さや感染症に加え、ロシア軍と農民ゲリラからの攻撃などによってフランス軍は壊滅的になり、遠征は大失敗に終わりました
(あの「冬将軍」などに敗れ、転落へ)

翌1813年、ライプツィヒの戦い(諸国民戦争)でプロイセン・ロシア・オーストリアに敗れたナポレオンは、ついに皇帝位を退き、地中海のエルバ島に流されました

その後、1815年3月にエルバ島を脱出したナポレオンは、パリに戻ると再び皇帝となり、「百日天下」を取ります
しかし、その3カ月後にはワーテルローの戦いでイギリス軍とプロイセン軍に敗れて、退位を余儀なくされます

これによってナポレオンは、南大西洋上の孤島セントヘレナ島に流刑となりました

ナポレオンは、ベートーヴェンに尊敬され、失望されたことに象徴されるように、功罪相半ばする人物だといえます

独裁者で征服者としてのナポレオンは、皇帝就任に絶望したベートーヴェンが予想した通り、国内ではナポレオン戦争を大義に自由を弾圧し、征服地では諸民族に対する抑圧政策を強化しました
そして何よりも、ヨーロッパ中を戦火に巻き込みました

とはいえ一方では、フランス革命とナポレオン法典がもたらした「自由」「平等」そして「個人の尊重」という理念は、ナポレオン没後もヨーロッパから消えることはなく、現代にまで息づいています

その意味で、ナポレオン法典が定められた意義は大きく、近代市民法の原理を規定したと意味づけられています

ナポレオン自身、セントヘレナ島への流刑後に書いた『回顧録』の中で、「余の真の栄誉は40回の戦いの勝利ではなく・・・永久に生きるのは余の民法典である」という言葉を残しています

ナポレオンはセントヘレナに流されて6年後に亡くなりましたが、その言葉は実現したといえるでしょう




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posted by june at 03:40| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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