徳川家康の戦における最大の危機は、武田信玄との三方ヶ原の戦いと真田幸村との大坂夏の陣でしょうか
生涯に2度しか倒れていない馬印がこの時倒れています
三方ヶ原の戦いでは大敗し、命からがら逃げ帰り(馬上で尿を漏らしたとも糞を漏らしたとも)、大坂夏の陣では本陣まで攻められ、一時は自決を覚悟したとも・・・しかしその後盛り返しこの戦いに勝利
戦以外では、三河の一向一揆にも苦労しましたが、伊賀越えも大変でした
本能寺の変で同盟の織田信長を失い、家康自身も命を狙われました
本能寺の変の時、家康はわずかな手勢で堺見物をしており、体勢を立て直すため、堺脱出、伊賀越え、岡崎帰還に迫られていました
家康は少数の手勢や伊賀に詳しい服部半蔵らの協力・活躍などもあり、伊賀越えをしました
命からがらの逃走でした
本能寺の変 神君伊賀越えの真相: 家康は大和を越えた 単行本
本能寺の変後に命の危機にあった家康の逃走・・・
命がけの逃走・いわゆる神君伊賀越えの真相・真実に迫る
伊賀越えも家康の大きな危機でした
2024年09月12日
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