明治天皇の玄孫(やしゃご)で、作家の竹田恒泰氏(48)が8月4日までに自身のYou Tubeチャンネルを更新
パリ五輪で、馬術競技では92年ぶりとなるメダル獲得でクローズアップされた西竹一さんの知られざるエピソードを明かした
パリ五輪の前半戦で、大きな話題を呼んだのが総合馬術団体の銅メダル
1932年ロサンゼルス五輪の馬術障害飛越で西竹一さんが金メダルを取って以来の快挙で、約1世紀前に偉業を成し遂げた氏の功績にもスポットライトが当てられた
この話題に触れ、「熱く語りますよ」と竹田氏が力を入れるのは当然だ
祖父・恒徳さん(竹田宮恒徳王)と西さんは陸軍幼年学校時代から先輩後輩の関係
西さんが6学年上で、馬術の腕前を一緒に競っていたという
「西さんという方はものすごく破天荒で、カリスマ性があって、カッコいい遊び方をする人だったらしいんですね。馬術の技法が天才的だったと言われています」
西さんがロサンゼルスの夢舞台に臨んでいた当時、竹田家一族は軽井沢に滞在
西家と竹田家は家族ぐるみの親交があり、五輪の結果を全員で心待ちにしていた
すると、恒徳さんのもとに、ある新聞社から電話が入り、「竹田さん、大変です。西さんが重傷です」という、まさかの連絡が届いた
馬術は危険な競技
報を聞いた誰もが、不測の事態を想像した
恒徳さんは慌てて、西一家が滞在する別荘へ
西さんの妻に伝えたところ、「馬で転落して重傷って、生死をさまよってんじゃないかって、(奥さんは)泣いちゃって大変だったらしんです」
しかし、その涙は、同じ新聞社からかかってきた2本目の電話で意味合いが変わる
「竹田さん、すみません。重傷じゃなくて、優勝でした」
当時は、海外との通信手段も限らていた時代
電報の文字が違っていたことで、生まれたサイドストーリーだった
「で、また(祖父が)西家に行って、泣き崩れている奥さんに“重傷じゃなくて、優勝でした”って伝えて、みんなで万歳、万歳ってやったらしいって、私、祖父から聞きました」と、どこか嬉しそうに竹田氏は明かしていた
(この記事は、スポニチアネックスの記事で作りました)
当時は通信術も限られていた中での「誤報」
重傷ではなく、優勝(金メダル)でよかったですね
それにしても戦争の敵国からも愛された五輪の英雄・「バロン西」を奪った戦争が憎い
関連記事:馬術で92年ぶり、メダルの栄光 伝説の「バロン・ニシ」以来
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今回(2024年五輪)まで日本で唯一だった西竹一氏の馬術での五輪のメダルだった
その西竹一などをあしらった缶バッチ
2024年08月29日
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