100年近く所在不明だった西郷隆盛の直筆の書簡が滋賀県で発見されました
去年9月、大津市の個人から滋賀県に寄託を受けた文化財の中に含まれていたということです
書簡は全長4.75メートル 西郷の手紙の中では『最長級』
滋賀県によりますと、見つかった「西郷隆盛自筆書簡」は全長4メートル75センチにもなる、西郷の手紙の中では最長級のもの
明治5年(1872)に、岩倉具視や大久保利通らの政府高官が欧米に大規模な外遊を行った際、「留守政府」の首班として日本の政治を守っていた西郷からアメリカに滞在していた大久保へ出されたもので、西郷が日本国内の状況や島津家の内情などについて詳しく書いています
また、「追伸」にあたる部分には、大久保から受け取ったポートレートについて「醜体」とからかうなど、「写真嫌い」で有名な西郷を象徴する一文も記述されています
また、この書簡が本物だとする西郷の弟が記した鑑定書も初めて見つかりました
昭和2年(1927)に刊行された「大西郷全集」第2巻に写真図版付きで初めて紹介され、豊富な情報を伝える「一級史料」として知られていましたが、その後、原本の所在が分からなくなっていました
しかし去年9月、大津市の男性が滋賀県に寄託した文化財5件の中に含まれていたことが分かり、鑑定の結果、原本だと特定したということです
滋賀県立琵琶湖文化館の井上優副館長は、「まさか直筆のものを手に入れるとは思っていなかったので驚いた」「フォーマルな内容と追伸のくだけた内容が混じっていて、特に写真に対する西郷のスタンスが分かるのが面白い。(大久保との)仲の良さを前提としたくだけた手紙の部分もある」とコメントしています
専門委員「まさか今、実物が出てくるとは」
また、公益財団法人西郷南洲顕彰会の専門委員は「まごうことなき、南洲隆盛の自筆書簡。筋が通り、均一の行間で書かれるなど筆跡の特徴が如実にあらわれている。内容は周知のものだが、まさか今に実物が出てくるとは驚いた」と評価しています
書簡は、今年5月に滋賀県公文書館などで展示される予定です
(この記事は、MBS NEWSの記事で作りました)
西郷隆盛は最期は西南戦争で敗れ戦死しています
旧武士団の不満を受け、明治政府と対立することになり、いわば「朝敵」となります
しかし西郷隆盛は人々から敬愛され(特に地元・薩摩、鹿児島では)、明治天皇も人間・西郷隆盛を愛したといわれます
また本記事にあるように写真嫌いとしても知られています
西郷隆盛は「敬天愛人」の言葉を好んだとされます
スケールの大きな人物だったといわれます
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西郷隆盛は上野にある銅像などでもよく知られています
明治政府誕生の大立役者ながら最期は「朝敵」となった波乱の人生
人々から愛された西郷隆盛の素顔を探る
2024年03月31日
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