2024年02月15日

インド「王家の末裔」の隠された真実 歴史に翻弄された一家の物語

北インドでかつて栄えたアワド藩王国(1724~1856年)──その王族の末裔だという一家が、インドの首都デリーの廃屋となった遺跡に暮らしていた

森の中で隠遁生活を送る彼らの正体は謎に包まれ、40年もの間、世界各国のメディアが彼らの真の姿を明らかにしようと取材を続けてきた

そしてついに2019年、米紙「ニューヨーク・タイムズ」の記者エレン・バリーがこの一家の謎を明らかにした
2016年の春、アワド王家への取材が許されたのだ

歴史に翻弄された家族の物語を、長編のルポでお伝えする

デリーの街の大いなる謎のひとつ
2016年のある春の午後、まだインドで働いていたとき、デリー中心部の森に住んでいた一人の隠遁者から、電話で伝言メッセージを受け取った
アワド王家への取材が許されたのだ

アワド王家の存在は、デリーの街の大いなる謎のひとつだった
彼らについての物語は、オールドデリーで働くお茶売りや三輪タクシーの運転手や店主たちの間で伝わっていた
彼らによれば、都市から切り離された森の中の宮殿に、母親と娘、息子の3人が住んでおり、彼らは有名なシーア派イスラム教徒の王家の血を引く最後の末裔なのだという

この王家の末裔に関する物語は、話を聞く相手によって異なっていた
ある人々は、1856年にイギリスが王国を併合して以来、アワド王家は今の場所に暮らしており、宮殿を取り巻く森が成長するにしたがい彼らを飲み込んでしまったのだと言う
また別の人々は、彼らがアラブの民間伝承の超自然的な存在であるジン(精霊)の一族であると言う

かつて望遠レンズを覗いて王女の姿を垣間見た知人によれば、その髪は長い間伸ばし放題で洗髪もしていない状態だったので、枝が敷き詰められた地面に毛が抜け落ちていたという

ひとつ確かなのは、彼らが同伴者を望んでいないということである
彼らは14世紀の狩猟用ロッジとして使われていた建物に住んでおり、有刺鉄線に囲まれ、凶暴な犬たちに守られていた
敷地の境界には、恐ろしい標識が貼られていた
そこには「侵入者は射殺するものとする」と書かれていた

この一族は数年おきに、国家に対して彼らが抱いている不満を、1人の記者に(常に外国人だった)話すことを承諾していた
これらの記者たちは、非常に興味深い不気味な話を持ち帰り、私はそれを感嘆しつつ研究していた

1997年、王子と王女は英紙「タイムズ」に対し、母親がイギリスとインドによる裏切りに抗議する最後の意思表明として、砕いたダイヤモンドと真珠を混ぜた毒を飲んで自殺したと語った

これらの物語がこんなにも心に響く理由が私にはわかっていた
この国には、イギリスによる制圧の只中でなされた謀略から、「分離」として知られる、パキスタンをインドから切り離し、ヒンドゥー教徒とムスリムの間に暴力的な動乱を引き起こしたイギリス領インド解体における大量虐殺にいたるまで、トラウマが深く刻まれているからである

この一家は、自らの荒廃ぶりを示すことで、インドがこれまで苦しんできたあらゆることを、身を以て示しているのだ

(この記事は、クーリエ・ジャパンの記事で作りました)

一般によく知られているインド独立の歴史は私はガンディー(ガンジー)によるものだ

しかし歴史の裏には今回の「王家の末裔」の物語のようなものもあるはずだ

ガンディー 強く生きる言葉 単行本(ソフトカバー)

非暴力を貫きインド独立に生涯を捧げたガンディー(最近はガンジーではなく、ガンディーと表記)
ガンディーも聖人といわれているが、そこに至るまで葛藤や苦悩、煩悩もあったようだ
志を貫き強く生きるガンディーの言葉の数々
ガンディーを推し進めた
posted by june at 04:21| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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