2023年06月30日

「フォークボールの神様」杉下茂さん死去、北別府学氏も

プロ野球・中日のエースとして1954年の球団初となる日本一に貢献、監督も務めた杉下茂さんが12日、肺炎のため亡くなったことが16日分かった
97歳だった
2019年ごろから肺の機能が徐々に低下
22年6月に間質性肺炎と診断され療養していたが、12日朝に自宅で意識を失い、都内の病院で亡くなった。


杉下さんは1925年9月17日生まれで、東京府東京市神田区(現東京都千代田区)出身、帝京商(現帝京大高校)、いすゞ、明大を経て49年に中日に入団した

杉下さんは日本で初めてフォークボールを投げたことで知られ、「フォークボールの神様」と呼ばれた
明大時代に、同大学の先輩であり、中日入団年に監督になった天知俊一さんにフォークを教えられた

そのフォークを武器に3年目の51年に28勝13敗で沢村賞と最多勝のタイトルを獲得
54年には32勝12敗で投手タイトルを総なめにし、MVP、沢村賞も獲得してチームの日本一に貢献した

59年から2年間選手兼任で監督に就任したが、登板はなかった
61年に大毎へ移籍してその年で引退した
引退後の66年に阪神、68年に再び中日の監督に就任
そのほか、大毎、阪神、巨人、西武で投手コーチを務めた
85年には野球殿堂入りした
また、96年から中日春季沖縄キャンプで臨時コーチを務め、90歳を超えても精力的に動いて選手を指導した


通算成績は525試合登板、215勝123敗、防御率2・23
中日での211勝は球団2位の記録
獲得タイトルはMVP(54年)、最優秀勝率(54年)、沢村賞(51、52、54年)、最優秀防御率(54年)、最多勝(51、54年)、最多奪三振(50、54年)

(この記事は、中日スポーツの記事で作りました)

また同日はプロ野球・広島東洋カープで活躍し、病気療養中だった北別府学氏が、広島市内の病院で亡くなったことがわかった
65歳だった

■北別府学
1957年7月12日生まれ
宮崎県立都城農業高校から1975年ドラフト1位で広島東洋カープに入団
1982年に20勝(8敗1S)、86年に18勝(4敗)を挙げ最多勝&沢村賞受賞
86年はリーグMVPを獲得した

(この記事は、TBSニュースデグの記事で作りました)

杉下茂さんは日本で初めてフォークボールを投げたとされ、「フォークボールの神様」といわれた

氏のエピソード、伝説などを聞くと氏のフォークボールはまさに「魔球」だったと感じる

杉下氏によると、失投でないフォークボールを打たれたのは現役の晩年に長嶋茂雄氏に打たれた1本だけだという
(実はプロ入り前のフォークボールを覚えたての頃のある試合にも当たり損ねの安打を打たれたことがある・・・初めて投げたフォークボールが当たり損ねの内野安打となり、縁起が悪いとフォークボールを封印したことがある)

氏はフォークボールの使い手だったが、現在のように多投はせず、ここぞの場面と「打撃の神様」川上哲治氏の対戦でのみ投げたという

もし多投していれば勝ち星、奪三振がもっと増えていたかも・・・

フォークボールを多投したのは1954年の日本一が懸かった対西鉄の日本シリーズ第7戦だった


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伝えるII (プロ野球 努力の神様たち) 」もおすすめ
posted by june at 12:11| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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