1935年、愛媛県大瀬村(現・内子町)生まれ
幼少期を過ごした森の谷間の村のイメージと、終戦とともに学校教育が、軍国主義から民主主義的なものに切り替わった体験が文学上の原点となった。
松山東高を卒業後、東京大に入学。仏文科在学中の1957年、「奇妙な仕事」で文壇デビューし、翌年、「飼育」で芥川賞を受賞した
「芽むしり仔(こ)撃ち」「われらの時代」「性的人間」「セヴンティーン」など話題作を次々と発表し、戦後の新しい世代の文学の担い手として脚光を浴びた
1967年の「万延元年のフットボール」で、谷崎潤一郎賞
1994年、「現代の人間の様相を衝撃的に描いた」として、日本人では川端康成さんに続き2人目のノーベル文学賞を受賞
「あいまいな日本の私」と題した受賞講演を行った
(この記事は、読売新聞オンラインの記事で作りました)
大江健三郎さんは前述のように日本人では川端康成さんに続く2人目のノーベル文学賞を受賞
大江さんが広島で原爆投下などを取材し書かれたノンフィクション「ヒロシマ・ノート」も話題になりました
死者の奢り・飼育 (新潮文庫) 文庫
大江健三郎さんの芥川賞受賞の短編「飼育」を含めた6篇の作品集