表彰式後に取材対応
昨年4月に敗れたゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)戦について「あの試合は僕の中では最後だと思っている。まだ発表できていないだけ」と事実上の引退を表明した
村田選手はこの日、ゴロフキン戦で年間最高試合賞(世界戦)を受賞
9回2分11秒TKOで敗れたものの、日本ボクシング史上最大のビッグマッチと言われた世界的レジェンドとの死闘はボクシングファンを熱狂させた
表彰式後に報道陣の取材に応じた37歳の村田選手は、当時の試合について問われ「興行はよかった」とし、こう続けた
「やっぱり日本では何を持って一番大きいかと言ったらわからないけど、金額的には一番大きかったでしょうし、ミドル級の統一戦なので、今後なかなかないことではないかと思う。そういった貴重性という面においては、客観的に見ればいい大会だったんじゃないですかね」
年間最高試合賞を受賞したことについて、「あの試合が僕の中では最後だと思っているので、その最後の試合がこうやって評価されたということは凄く感慨深いし、嬉しいのは嬉しいですね」と言及
「現状、あの試合が最後という考えか」との問いには「まだ発表できていないだけの話なので、個人的にはそう(引退と)思っていますし、それがこういった形で表彰していただけたのは感慨深いですし、よかったなと思います」と事実上の引退を告白した
ゴロフキン戦から10か月
現在は「太らないようにしてますけどね。基本的にかっこわるいいきものにはなりたくないから」と節制しているという
今後の活動については、「できることをやるだけ。自分の思うようになかなかできないし、やれることをやっていくだけです」と話すにとどめた
村田選手は14歳だった中学3年からアマチュアでボクシングを始め、南京都高(現・京都廣学館高)では高校5冠を達成
東洋大に進学し、2011年世界選手権で銀メダルを獲得すると、2012年ロンドン五輪で金メダルに輝いた
2013年8月にプロデビューし、2017年10月に世界王座奪取
五輪金メダルからプロで世界王座に就くのは日本人初の偉業だった
世界的に層の厚いミドル級
体格に恵まれないアジア人には縁のない領域だったが、初防衛に成功したのも日本人初だった
2度目の防衛戦となった2018年10月にロブ・ブラント(米国)に敗れて王座陥落
しかし、2019年7月の再戦では魂の豪打でファンを沸かせ、王座奪還劇は感動を呼んだ
同年12月に再び初防衛
以降はコロナ禍で試合ができず、ゴロフキン戦が2年4か月ぶりのリングだった
プロ戦績は19戦16勝(13KO)3敗
(この記事は、THE ANSWERの記事で作りました)
世界で最も層が厚いといわれれ、体格の恵まれない日本人には無理とされていたボクシングのミドル級でアマ(五輪金メダル)とプロ(世界王者)で「世界」を制した村田諒太選手
とんでもない「世界」で彼は戦ってきました
101%のプライド
五輪金メダリストからプロボクシングの世界王者になるという快挙を達成した村田諒太選手
(日本人唯一)
しかも世界的に層の厚い、日本人最重量のミドル級の世界王者
(日本人では竹原慎二氏と2人だけ)
2回王座に就き、それぞれ1度の防衛も成功している
(日本人唯一)
上の書籍はそんな村田選手の考え方やエピソードを収録