3日に、第98回箱根駅伝の復路が行われた
往路優勝の青学大が復路でもライバルたちを圧倒し優勝
往復で10時間43分42秒の大会新記録で2年ぶり6度目の総合優勝
青学大は、2020年に順大が出した記録を1分41秒更新し、2位・順大に21世紀最大となる10分51秒差
前述のように復路でも強さを見せ、2020年に東海大が出した記録を上回る5時間21分36秒をマークし、優勝
2年連続7度目の優勝
これで往路、復路、総合の完全優勝
往路でトップに立った青学大は、9区で中村唯翔(ゆいと)選手(3年)、10区で中倉啓敦(ひろのぶ)選手(3年)がともに区間新記録を出すなどトップを譲らない独走の優勝
ちなみに、昨年総合優勝の駒大は3位だった
箱根駅伝の最優秀選手に贈られる金栗四三杯は、9区で区間新記録を出した中村唯翔選手(青学大3年)とともに1区で区間新記録を出した吉居大和選手(中大2年)が選ばれた
(この記事は、サンケイスポーツの記事で作りました)
箱根駅伝は、日本陸上長距離競走の発展に多大な貢献をし、尽力した金栗四三氏によって創設された
金栗四三とは・・・
1911年のストックホルム五輪のマラソン代表選考の予選会で当時のマラソン世界記録で優勝・・・
1912年のストックホルム五輪にマラソンの日本代表で出場するも、酷暑で気を失い民家で介抱され、途中棄権(正式な届出なし)・・・
途中棄権との正式な届け出もされておらず、記録では行方不明扱いになっていた・・・
その後の五輪ではベルリンが戦争で開催中止、アントワープが16位、パリが途中棄権・・・
ベルリン五輪(結局は戦争で開催中止)の前には当時の世界記録を出すなどしたが、計4回(ストックホルム、ベルリン、アントワープ、パリ)(出場は3回、ベルリンは戦争で開催中止で出場していない)の五輪の機会では、地力はありながら(特にストックホルムとベルリン)メダルを獲得できず、「縁」がなかった・・・
こうしたオリンピック挑戦の間に、前述の箱根駅伝開催など日本陸上長距離競走の発展に大きく貢献・・・
現役引退後も日本陸上長距離競走の発展に尽力・・・
1967年、スウェーデン・ストックホルムのオリンピック委員会は、金栗は行方不明扱いで正式に途中棄権がされていないと完走することを要請・・・
金栗が完走すると「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピックの全日程を終了します」とアナウンスされた。
1983年死去、92歳没
ドラマチックな話ですね
金栗四の完走をもって「第5回ストックホルムオリンピックの全日程を終了します」のアナウンスも感動的だったし、ストックホルムオリンピック委員会が金栗氏が行方不明扱いだとして、54年後にマラソンの完走を要請したのも粋な計らいです
金栗四三
日本長距離走の発展に尽力した金栗四三氏の真実に迫る書籍
ストックホルム五輪で途中棄権し、行方不明扱いになっていた金栗氏に54年後に完走の要請があり、マラソンを完走したという感動のエピソードも・・・
2022年01月04日
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