福岡国際マラソン・・・
この大会の創設は1947年
「日本マラソンの父』といわれる金栗四三氏らによって作られた
75回目の今回が最後となる第75回福岡国際マラソンは、ケニア出身のマイケル・ギザエ選手が2時間7分51秒で初優勝
日本勢最高位は細谷恭平選手の2時間8分16秒の2位
日本陸連が定めた基準を満たし、2024年パリ五輪代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」の出場権を一番乗りで獲得
(この記事は、サンケイスポーツの記事で作りました)
年末の風物詩であり、歴史ある福岡国際マラソンがなくなるのは残念ですね
多くの名ランナーが駆け、数々の名勝負が生まれた福岡国際マラソンにピリオドがうたれた
福岡国際マラソンのTシャツ
福岡国際マラソンのTシャツ
金栗四三
金栗四三氏は「日本マラソンの父」といわれ、福岡国際マラソンの創設や箱根駅伝の創設などにも尽力
1911年のストックホルム五輪のマラソン代表選考の予選会で当時のマラソン世界記録で優勝・・・
1912年のストックホルム五輪にマラソンの日本代表で出場するも、酷暑で気を失い民家で介抱され、途中棄権(正式な届出なし)・・・
途中棄権との正式な届け出もされておらず、記録では行方不明扱いになっていた・・・
その後の五輪ではベルリンが戦争で開催中止、アントワープが16位、パリが途中棄権・・・
ベルリン五輪(結局は戦争で開催中止)の前には当時の世界記録を出すなどしたが、計4回(ストックホルム、ベルリン、アントワープ、パリ)(出場は3回、ベルリンは戦争で開催中止で出場していない)の五輪の機会では、地力はありながら(特にストックホルムとベルリン)メダルを獲得できず、「縁」がなかった・・・
こうしたオリンピック挑戦の間に、前述の箱根駅伝開催など日本陸上長距離競走の発展に大きく貢献・・・
現役引退後も日本陸上長距離競走の発展に尽力・・・
1967年、スウェーデン・ストックホルムのオリンピック委員会は、金栗は行方不明扱いで正式に途中棄権がされていないと完走することを要請・・・
金栗が完走すると「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピックの全日程を終了します」とアナウンスされた。
1983年死去、92歳没