19日に、競馬の生産者でビックレッドファーム代表、マイネル軍団の総帥としても知られる岡田繁幸氏が北海道新冠町の自宅で71歳で亡くなった
岡田さんは、1950年(昭和25年)3月19日の生まれだから、亡くなったのは、71歳の誕生日だった
大学を中退すると、本場・アメリカで馬産を学ぶ
その「修行中」に、名馬・ラフィアンをいち早く見出す
帰国後の1974年にビックレッドファームを開設し、1986年のダイナガリバーが勝ち、当時の社台ファーム(現在の社台グループの前身母体)の吉田善哉氏が悲願の日本ダービー制覇をした時の2着馬に、所有馬のグランパズドリームが入った
グランパズドリームは、血統的に評価されていなかった・・・父カブラヤオー母フザキネン(父ガーサント)、父は名競走馬だが種牡馬では評価されず、母はサラブレッドとしての血統が不確かなサラ系・・・が、独自の馬の素質を見抜く「相馬眼」と馬を鍛えるトレーニングで注目された
「修行」時代に、名馬・ラフィアンを見出した「相馬眼」が発揮された
同年に、その自分がいち早く見出したラフィアンの名をつけたクラブ法人・サラブレッドクラブ・ラフィアンを設立
「マイネル」(牡馬)、「マイネ」(牝馬)の冠名で所有馬を走らせた
1996年の朝日杯3歳Sのマイネルマックスなどを出し、2006年に同法人の代表を退いた後も2009年にマイネルキッツが天皇賞・春を制している
個人馬主としては「コスモ」の冠名で知られ、地方競馬からのJRA挑戦も続けた
中でも有名なのはコスモバルク(名義は妻の美佐子氏)で、ホッカイドウ競馬所属のまま2004年の皐月賞とジャパンCで2着になるなど活躍し、2006年にシンガポール航空国際Cで海外G1制覇
目標は「日本ダービー制覇」と公言し、セールで高額馬を落札したり、海外から積極的に種牡馬を導入するなど、旺盛なチャレンジ精神の持ち主でもあったが、その夢(ダービー制覇)はかなえることができなかった
しかし、アメリカでの修行時代に名馬・ラフィアンをいち早く見出し、帰国後もビックレッドファーム代表などで活躍し、優れた「相馬眼」を発揮、生産界にも大きく貢献した
ちなみに、ビッグレッドは、アメリカ最強馬とされるマンノウォーやセクレタリアトの愛称
(この記事は、サンケイスポーツの記事と私の知識を参考に制作しました)
マイネル軍団の謎 (流星社の競馬本)
2021年03月21日
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください