蛯名正義元騎手
愛称「エビショー」
JRAの元トップジョッキーで多くの大レースに勝ってきました
アパパネで牝馬3冠(桜花賞、オークス、秋華賞)達成
マンハッタンカフェで菊花賞、有馬記念、天皇賞・春制覇
しかし、蛯名騎手で最も印象的なのは、1999年のエルコンドルパサーでのフランスの凱旋門賞2着だ
それまで日本馬がこの大レース(凱旋門賞)に挑んできたが、2桁着順の惨敗を繰り返してきた
エルコンドルパサーの1/2馬身差の2着は、日本調教馬が初めて「世界」を見た瞬間だった
凱旋門賞制覇の「夢」はとてつもなく大きくて高い「壁」だった
エルコンドルパサーのオーナーの渡邊隆氏ら「チーム・エルコンドルパサー」は、凱旋門賞制覇のため、1998年のジャパンカップを制すると、1999年は日本のレースには目もくれず、欧州長期滞在を決断した
その欧州長期滞在の「成果」が、フランスG1のイスパーン2着、サンクルー大賞優勝につながった
サンクルー大賞で、クラシックディスタンス(2400メートル)のフランスG1制覇
これらの騎乗は、蛯名騎手だった
さらに、凱旋門賞の前哨戦のフランスG2・フォア賞優勝
これで、エルコンドルパサーは、凱旋門賞での有力馬の1頭となる
当日は、雨の影響でものすごい重馬場の中、逃げる展開になる
エルコンドルパサーは、ゴール付近まで逃げ粘ったが、モンジューに差し切られ、1/2馬身差の2着
惜敗だった
重馬場が得意のモンジューに惜敗したが、日本調教馬が初めて「世界」を見た「瞬間」だった
前哨戦のフォア賞、そして凱旋門賞でも、エルコンドルパサーには、蛯名騎手が乗っていた
蛯名騎手も日本人騎手で初めて「世界最高峰」に近づいた
蛯名騎手は、2002年にもマンハッタンカフェで凱旋門賞に挑戦しているが、この時は13着だった
2010年に再び凱旋門賞にナカヤマファスタで、蛯名騎手は挑戦するが、この時は2着
日本人騎手の凱旋門賞2着は、最高順位であり、凱旋門賞2着の2回も最多記録だ
正義の競馬
蛯名騎手は、前述のように牝馬3冠を達成し、3冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)も、皐月賞と菊花賞は勝っているが、日本ダービーは勝てなかった
日本ダービーの最高順位は、2着が2回・・・
いわゆるダービージョッキーにはなれなかった
2001年に全国リーディングジョッキーになったが、ダービージョッキーにはなれず・・・
蛯名正義元騎手は、現役引退後、調教師に転身しており、今後はダービートレーナーを目指すことになる
蛯名騎手の引退式で、同期の武豊騎手がビデオメッセージで、蛯名調教師の手掛けた馬で凱旋門賞に挑戦する「夢」を語っていましたが、「実現」すれば、それこそ「夢」ですね
冷めて、静かに、熱くなれ―蛯名正義フォトエッセイ
2021年03月19日
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