橋本さんは、1973年に、英3冠馬ニジンスキーの子(マルゼンスキー)を宿したシル(マルゼンスキーの母)を米国のセリで購入
翌年の1974年に、北海道の橋本氏の橋本牧場で、マルゼンスキーと名付けられた牡馬が誕生
1976年にデビューしたマルゼンスキーは、8戦8勝、着差のつきづらい短距離レースを中心(最長距離で芝1800メートル)に合計着差61馬身の規格外の強さを誇った
だが、当時は海外で受胎した馬はクラシックに出走できなかった
マルゼンスキーは、当然日本ダービーにも出走できず、(マルゼンスキーの)主戦騎手・中野渡清一騎手は「大外枠でもいい。賞金もいらないので出たい」との主旨の発言をした
マルゼンスキーは、現役引退後に、日本ダービー馬・サクラチヨノオー、菊花賞馬・ホリスキーなどを出し、成功した
1997年8月21日に23歳(当時は旧表記で24歳)で死亡
娘の聖子氏は、1992年アルベールビル冬季五輪で銅メダルに輝くなど五輪に夏冬で計7度出場している
橋本善吉氏は偉大な父だった