ハサミアジサシ
獲物の魚を長いくちばしで挟んで捕まえる様子からその名がついたハサミアジサシ
くちばしが薄く、上くちばしより下くちばしの方が太くて長い見た目が特徴的です
そんなハサミアジサシが狩りをするのは、主に魚たちが水面に上がってくる夕方から夜にかけて
鳥類としては珍しく猫のように縦長の瞳孔をしているのは、明るくても暗くても獲物がよく見える仕組みだと言われています
狩りをするときは、まず川の水面と平行に飛びながら魚が水面に上がってくるのを待ちます
獲物の気配を感じると、長い下くちばしを水中に差し込んで水面すれすれを飛びながらタイミングを見計らい、下くちばしに魚が当たった瞬間に頭を素早く下に曲げ、挟みこんで捕まえるのです
昆虫も食べますが、主に川の小魚を獲物とするため、くちばしは水の抵抗を受けにくく獲物をすくいあげやすい形になっています
魚が下くちばしに当たってから捕らえるまではおよそ0.1秒ほど
獲物に逃げる隙を与えない素早さでキャッチします
同じ航路を行ったり来たりしながら獲物を探すのですが、航路の上での狩りの成功率は高いとされています
ただし、上下のくちばしの長さの差が影響してか、捕まえた魚を巣に運ぶときに落としてしまうこともあるのだとか
ただし、いくら狩りが得意で夜目がきくとはいえ、水の中にいる獲物の大きさが必ず判別できるわけではありません
万が一ナマズのような大きな獲物に当たっても墜落してしまわないよう頭と頸の筋肉組織が発達していて、そのおかげで衝撃を吸収することができるといいます
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 ハンター生物の話』
監修:今泉忠明 日本文芸社刊
執筆者プロフィール
国立科学博物館で哺乳類の分類学・生態学を学ぶ
上野動物園の動物解説員を経て、「ねこの博物館」(静岡県伊東市)館長
著書も多数
(この記事は、ラブすぽの記事で作りました)
獲物の魚を長いくちばしで挟んで捕まえる様子からその名がついたハサミアジサシ
くちばしが薄く、上くちばしより下くちばしの方が太くて長い見た目が特徴的です
そんなハサミアジサシが狩りをするのは、主に魚たちが水面に上がってくる夕方から夜にかけて
鳥類としては珍しく猫のように縦長の瞳孔をしているのは、明るくても暗くても獲物がよく見える仕組みだと言われています
くちばしを使って水面で狩り・・・
まず川の水面と平行に飛びながら魚が水面に上がってくるのを待ちます
獲物の気配を感じると、長い下くちばしを水中に差し込んで水面すれすれを飛びながらタイミングを見計らい、下くちばしに魚が当たった瞬間に頭を素早く下に曲げ、挟みこんで捕まえるのです
魚が下くちばしに当たってから捕らえるまではおよそ0.1秒ほど
獲物に逃げる隙を与えない素早さでキャッチします
同じ航路を行ったり来たりしながら獲物を探すのですが、航路の上での狩りの成功率は高いとされています
ただし、上下のくちばしの長さの差が影響してか、捕まえた魚を巣に運ぶときに落としてしまうこともあるのだとか
ただし、いくら狩りが得意で夜目がきくとはいえ、水の中にいる獲物の大きさが必ず判別できるわけではありません
万が一ナマズのような大きな獲物に当たっても墜落してしまわないよう頭と頸の筋肉組織が発達していて、そのおかげで衝撃を吸収することができるといいます
眠れなくなるほど面白い 図解 ハンター生物の話: 生きるために進化した生物たちの狩りワザを解説! 単行本
陸・海・空のハンター生物の狩りの方法をイラスト付きで紹介
私は動物に興味があり今泉忠明氏の関連本も多く愛読しました
2025年02月15日
NY株は反落、日経平均株価は4日ぶりに反落し大幅下落
14日(現地時間)のNY株(ダウ平均株価)は、反落し、終値は前日比165ドル81セント安の4万4546ドル08セント、14日発表された1月の米小売り売上高が市場予想を下回り、消費動向への懸念が広がった
ハイテク株中心のナスダックは81.13ポイント高の0026.77
S&P500は0.44ポイント安の6114.63
14日(日本時間)の日経平均株価は4日ぶりに反落し、終値は前日比312円04銭安の3万9149円43銭だった、円相場が前日に比べて円高・ドル安に振れたことを警戒し、幅広い銘柄に売りが出た、前日までの株価の上昇を受けた利益確定売りも重荷となった
(この記事は、ネットニュースの記事で作りました)
14日の日経平均株価の終値は前日比310円超の大幅下落
ハイテク株中心のナスダックは81.13ポイント高の0026.77
S&P500は0.44ポイント安の6114.63
14日(日本時間)の日経平均株価は4日ぶりに反落し、終値は前日比312円04銭安の3万9149円43銭だった、円相場が前日に比べて円高・ドル安に振れたことを警戒し、幅広い銘柄に売りが出た、前日までの株価の上昇を受けた利益確定売りも重荷となった
(この記事は、ネットニュースの記事で作りました)
14日の日経平均株価の終値は前日比310円超の大幅下落
ヤマト王権が“惨殺”した「まつろわぬ民」の悲劇とは(「土蜘蛛」の正体)
『日本書紀』には「土蜘蛛」というおぞましい名の者たちが登場するが、彼らは妖怪などではない
新たな侵略者たちがやってくるまで、日本各地で平和に暮らしていた先住の民であった
ヤマト王権によって虐げられた彼らの悲運に、今一度目を向けて欲しいと願うのだ
■『日本書紀』に記された妖怪「土蜘蛛」の正体
土蜘蛛といえば、見上げるばかりの巨大な蜘蛛として語られる恐ろしい妖怪のことである
その首を刎ねたところ、腹から1990個もの死者の首が飛び出てきたというから、なんともおぞましい
その同じ名前が、『日本書紀』に記されていることに、改めて思いを寄せていただきたいのだ
そこに記された土蜘蛛とは、もちろん妖怪などではない
日本各地に安住していた先住民のことで、そのうちの王権に「まつろわぬ」として蔑視された人々がこう呼ばれたのだ
洞窟に住んでいたという生活環境はもとより、「身短くして足長し」というような縄文人の特質をよく表しているところからすれば、おそらくは縄文系の人々であったのだろう
■虫けらのように網で捕まえ、殺害
ともあれ、まずは『日本書紀』に記された土蜘蛛について振り返って見ることにしたい
最初にその名が記されたのは、神武天皇の即位直前のことである
このときは葛(くず)で網を作って、これで彼らを捕えて殺したというから、まるで虫けら同然の扱いだ
しかも、奪った土地に、わざわざ「葛城(かつらぎ)」と捕らえたときの様相を名にして付けたというから、何をか言わんやである
もちろん、それ以前にも、皇軍が討伐した土族の長・長髄彦(ながすねひこ)はもとより、名草戸畔(なぐさとべ)という名の女賊や、八十梟帥(やそたける)、兄磯城(えしき)なども次々と殺戮しているが、彼らもまた、土蜘蛛の類と考えてもいいだろう
その殺害方法は何とも残虐で、だまし討ちというケースも少なからず見られた
『日本書紀』の記述では、彼らが野蛮で凶暴だったから誅されて当然・・・というような書き方をしているが、それはどうか
討伐された当人達から見れば、たまったものではなかった
平和に暮らしていたところを、突如侵入してきて、有無を言わさず殺されてしまったわけだから、恨んでも恨みきれなかったに違いない
東征とは名ばかりで、その実、単なる侵略であったことは間違いない
この点に関しては、改めて見つめ直していただきたいと願うばかりである
■良い関係を築いたケースもあったものの・・・
ただし、弥生時代中〜後期に渡来してきた北方系民族が、おしなべて同様の様相を見せていたとは思いづらい
歴史を遡ることさらに数百年前の縄文晩期、中国南部から渡来してきた海人族(後の弥生人で、邪馬台国の中核を成す民族か)の場合もどうだったのか知りたいところである
推測するに、渡来してきた人々の多くは男たちで、多くは先住の縄文人や海人族の娘たちと結ばれたはず
稲作という新たな生活の糧やその最新技術を手にした娘婿に対し、親たちは、むしろ好意的に彼らを迎え入れたのではないだろうか
しかし、日向四代にわたって、九州南部において縄文人とも海人族たちともうまく付き合ってきたはずの天孫族(=天皇の祖先)たちは違った
新天地を目指すに当たっては、先住の民との協調路線を捨て、手っ取り早い侵略という手を使ったのだ
通りすがりに出会った土族たちをことごとく降してヤマト入りを果たしたのがその表れである
当面は葛城の地を拠点としながらも勢力を拡大
4世紀後半〜5世紀初頭に活躍したとみられる応神天皇の御代には全国制覇を成し遂げるなど、拡張路線を推し進めて強大なヤマト王権を築きあげることに成功したのだ
こうした記録は、ヤマト王権の中核となる施政者たちにとっては華々しいものだったかもしれないが、「まつろわなかった」という理由だけで殺戮されてしまった先住の民にとっては、無残な歴史だったとしか言いようがない
歴史は勝者の手によって作られるとよく言われるが、殺され忘れ去られてしまった彼らこそ悲運
今一度、虐げられ続けてきた人々にも目を向けて欲しいと、つくづく思うのだ
(この記事は、歴史人の記事で作りました)
歴史は勝者によって作られてきた
しかし、敗者にも歴史があった
敗者から見た歴史も考えたい
関連記事:
ヤマト王権に従わなかった人々の蔑称・「土蜘蛛」
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カラー版 敗者の日本史 (宝島社新書) 新書
歴史は勝者によって作られてきたという
しかし、勝者がいれば必ず敗者もいる
敗者の歴史からもう一つの歴史を考える
新たな侵略者たちがやってくるまで、日本各地で平和に暮らしていた先住の民であった
ヤマト王権によって虐げられた彼らの悲運に、今一度目を向けて欲しいと願うのだ
■『日本書紀』に記された妖怪「土蜘蛛」の正体
土蜘蛛といえば、見上げるばかりの巨大な蜘蛛として語られる恐ろしい妖怪のことである
その首を刎ねたところ、腹から1990個もの死者の首が飛び出てきたというから、なんともおぞましい
その同じ名前が、『日本書紀』に記されていることに、改めて思いを寄せていただきたいのだ
そこに記された土蜘蛛とは、もちろん妖怪などではない
日本各地に安住していた先住民のことで、そのうちの王権に「まつろわぬ」として蔑視された人々がこう呼ばれたのだ
洞窟に住んでいたという生活環境はもとより、「身短くして足長し」というような縄文人の特質をよく表しているところからすれば、おそらくは縄文系の人々であったのだろう
■虫けらのように網で捕まえ、殺害
ともあれ、まずは『日本書紀』に記された土蜘蛛について振り返って見ることにしたい
最初にその名が記されたのは、神武天皇の即位直前のことである
このときは葛(くず)で網を作って、これで彼らを捕えて殺したというから、まるで虫けら同然の扱いだ
しかも、奪った土地に、わざわざ「葛城(かつらぎ)」と捕らえたときの様相を名にして付けたというから、何をか言わんやである
もちろん、それ以前にも、皇軍が討伐した土族の長・長髄彦(ながすねひこ)はもとより、名草戸畔(なぐさとべ)という名の女賊や、八十梟帥(やそたける)、兄磯城(えしき)なども次々と殺戮しているが、彼らもまた、土蜘蛛の類と考えてもいいだろう
その殺害方法は何とも残虐で、だまし討ちというケースも少なからず見られた
『日本書紀』の記述では、彼らが野蛮で凶暴だったから誅されて当然・・・というような書き方をしているが、それはどうか
討伐された当人達から見れば、たまったものではなかった
平和に暮らしていたところを、突如侵入してきて、有無を言わさず殺されてしまったわけだから、恨んでも恨みきれなかったに違いない
東征とは名ばかりで、その実、単なる侵略であったことは間違いない
この点に関しては、改めて見つめ直していただきたいと願うばかりである
■良い関係を築いたケースもあったものの・・・
ただし、弥生時代中〜後期に渡来してきた北方系民族が、おしなべて同様の様相を見せていたとは思いづらい
歴史を遡ることさらに数百年前の縄文晩期、中国南部から渡来してきた海人族(後の弥生人で、邪馬台国の中核を成す民族か)の場合もどうだったのか知りたいところである
推測するに、渡来してきた人々の多くは男たちで、多くは先住の縄文人や海人族の娘たちと結ばれたはず
稲作という新たな生活の糧やその最新技術を手にした娘婿に対し、親たちは、むしろ好意的に彼らを迎え入れたのではないだろうか
しかし、日向四代にわたって、九州南部において縄文人とも海人族たちともうまく付き合ってきたはずの天孫族(=天皇の祖先)たちは違った
新天地を目指すに当たっては、先住の民との協調路線を捨て、手っ取り早い侵略という手を使ったのだ
通りすがりに出会った土族たちをことごとく降してヤマト入りを果たしたのがその表れである
当面は葛城の地を拠点としながらも勢力を拡大
4世紀後半〜5世紀初頭に活躍したとみられる応神天皇の御代には全国制覇を成し遂げるなど、拡張路線を推し進めて強大なヤマト王権を築きあげることに成功したのだ
こうした記録は、ヤマト王権の中核となる施政者たちにとっては華々しいものだったかもしれないが、「まつろわなかった」という理由だけで殺戮されてしまった先住の民にとっては、無残な歴史だったとしか言いようがない
歴史は勝者の手によって作られるとよく言われるが、殺され忘れ去られてしまった彼らこそ悲運
今一度、虐げられ続けてきた人々にも目を向けて欲しいと、つくづく思うのだ
(この記事は、歴史人の記事で作りました)
歴史は勝者によって作られてきた
しかし、敗者にも歴史があった
敗者から見た歴史も考えたい
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しかし、勝者がいれば必ず敗者もいる
敗者の歴史からもう一つの歴史を考える