MRIを働かすのは体の中の「音叉」!
みなさん、音叉(おんさ)って覚えていますか?
音楽の授業で出てきたフォークのいとこのような二股に分かれた金属棒です
音叉を軽く叩くと、音叉は揺れて特定の音、たとえば「ラ」の音を出します
揺れていない音叉を「ラ」の音が出ている楽器の近くに持っていくと、音叉は揺れはじめ、自然に「ラ」の音を出しはじめます
この現象のことを共鳴と呼びます
音叉は別の楽器の音に共鳴して揺れ始め、自らその音を出しはじめたのです
量子力学的に見ると、この世の中は特殊な「音叉」だらけです
実はわたしたちの体をつくっている原子も音叉のように共鳴するのです
その原子の特性を使った医療装置がMRIと呼ばれる装置です
みなさんもどこかで脳や体の中を輪切りにしたような写真を見たことがあるかもしれませんが、これらの写真はMRIという量子「音叉」測定装置で撮られているのです
わたしたちの体の中にはたくさんの水素原子が含まれていますが、これが量子的な「音叉」です
MRIの装置の中ではつぎのようなことが起こっています
ドームのような装置を使って、体の中に電磁波を当てます
そうすると体の中の水素原子がいっせいに共鳴し、当てたものと同じ電磁波を出しはじめます
この出てきた電磁波に集光マイクのようなセンサーを向けて「耳を澄ませ」ると、水素原子が多くあるところからは、たくさんの共鳴電磁波が聞こえます
水素原子が少ないところからはあまり聞こえません
体の表面だけではなく中からもその共鳴が聞こえてきます
この水素原子の共鳴がどれくらい聞こえたかを濃淡に表したものがMRIの写真というわけです
MRIの仕組み
MRIは体内に電磁波を当てる装置だが、体の中には多くの水素原子が含まれている
そこに電磁波が当たると体内の水素原子がいっせいに共鳴し、多くの共鳴電磁波が生じる
水素原子の多いところでは多くの共鳴電磁波が、少ないところでは少ない共鳴電磁波が出現する
その濃淡を画像処理するのがMRIという機器だ
そうした共鳴電磁波が生じる水素原子を量子的な「音叉」と呼ぶ
わたしたちの体は、人体構造としては筋肉や脂肪、血液など多くの細胞で成り立っているが、物理学的には「量子の塊」なのだ
この世の中は量子でできているんだね
宇宙も地球も生物もすべてだ
ピンとこないかもしれないけど、僕らの前に広がる風景なんかも目の前のこの本もすべて量子
あなたの愛するワンちゃんもニャーと甘えてくるネコちゃんも量子でできているよ
だから、当然、僕らの体も原子という量子でできている
ということは、人間の体は生きた量子の塊といっていいんだよ
そうして、時に音叉のように共鳴するんだね
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 量子の話』著:久富隆佑、やまざき れきしゅう
(この記事は、ラブすぽの記事で作りました)
MRIの仕組み
MRIは体内に電磁波を当てる装置だが、体の中には多くの水素原子が含まれている
そこに電磁波が当たると体内の水素原子がいっせいに共鳴し、多くの共鳴電磁波が生じる
水素原子の多いところでは多くの共鳴電磁波が、少ないところでは少ない共鳴電磁波が出現する
その濃淡を画像処理するのがMRIという機器だ
そうした共鳴電磁波が生じる水素原子を量子的な「音叉」と呼ぶ
ちなみに電磁波を当てるから、磁気に反応する金属はMRI室に持ち込めない
身体の中に磁気に反応する金属があってもダメだ
わたしたちの体は、人体構造としては筋肉や脂肪、血液など多くの細胞で成り立っているが、物理学的には「量子の塊」なのだ
この世の中は量子でできている
宇宙も地球も生物もすべてだ
眠れなくなるほど面白い 図解 量子の話: 量子の世界を知らずして たぶん 未来は語れない。 単行本
物理の世界を一変させた量子(力学)論
相対性理論もかなり「ぶっとんだ」理論だが、量子(力学)論も「ぶっとんだ」凄い理論だ
この驚異の量子の世界を追う
2025年02月14日
NY株は大幅反発・ナスダックも大きく上昇、日経平均株価は3日続伸で大幅上昇
13日(現地時間)のNY株(ダウ平均株価)は、反発し、終値は前日比342ドル87セント高の4万4711ドル43セント、トランプ米大統領が13日に貿易相手国に同水準の関税を課す相互関税の導入を指示する覚書に署名した、即時の関税発動を見送り、インフレや貿易摩擦への市場の過度の懸念が後退した、相互関税について米国政府は今後国ごとに調査したうえで個別の対応を取る、米国の貿易赤字が大きい国から始めて調査期間は数週間から数カ月となるという、市場では交渉次第で関税が回避されるとの期待があり、広範囲にわたる関税がインフレを加速させるとの懸念がいったん後退した、トランプ大統領は将来的に自動車などに追加の関税を課す考えも示したが詳細には踏み込まなかったと伝わっている、ダウ平均は午後に一段高となり、400ドル近く上昇する場面があった
ハイテク株中心のナスダックは295.69ポイント高の1万9945.65
S&P500は63.10ポイント高の6115.07
13日(日本時間)の日経平均株価は3日続伸し、終値は前日比497円77銭高の3万9461円47銭だった、円安・ドル高の進行を手掛かりに輸出関連株などが買われたほか、海外短期筋とみられる日経平均先物への買いが断続的に入った
(この記事は、ネットニュースの記事で作りました)
13日のダウ平均株価の終値は前日比340ドル超の大幅上昇
ナスダックも大きく上昇
13日の日経平均株価の終値は前日比490円超の大幅上昇
ハイテク株中心のナスダックは295.69ポイント高の1万9945.65
S&P500は63.10ポイント高の6115.07
13日(日本時間)の日経平均株価は3日続伸し、終値は前日比497円77銭高の3万9461円47銭だった、円安・ドル高の進行を手掛かりに輸出関連株などが買われたほか、海外短期筋とみられる日経平均先物への買いが断続的に入った
(この記事は、ネットニュースの記事で作りました)
13日のダウ平均株価の終値は前日比340ドル超の大幅上昇
ナスダックも大きく上昇
13日の日経平均株価の終値は前日比490円超の大幅上昇
非公認の遊女屋「岡場所」とはどんな場所だった?
江戸時代、徳川幕府から公認された唯一の風俗街として発展していた吉原遊廓
三千人とも言われる遊女(公娼)を抱え、江戸を訪れる人々の需要に応えていましたが、吉原だけですべて満たせるはずはありません
そこで非公認の遊女屋(私娼)を集めた岡場所(おかばしょ)が開かれ、吉原遊廓の経営を脅かす商売仇となっていきました
時おり当局による警動(けいどう。取り締まり・摘発)が行われたものの、必要悪とばかり半ば黙認されていったようです
そんな岡場所がどんな様子だったのか、紹介していきましょう
岡場所の語源とは
岡場所というと、岡のように小高い場所で開かれていたと思われるかもしれませんが、そういうわけではありません
ことわざに岡目八目(おかめはちもく。傍目八目)という通り、岡には傍(はた、かたわら)や他、脇という意味があります
※傍目八目:囲碁を打っている当事者は熱くなっているから先が読めないが、傍から見ている者は冷静だから八目(8手)先まで読める。つまり「傍からであれば何とでも言える」という意味です
つまり、天下御免の吉原遊廓から見て傍にある、公認されていない他の場所
そんな意味だったのでしょう
岡場所の魅力とは
岡場所は非公認であることから、吉原遊廓とは違った自由な魅力があったようです
天下御免と言えば聞こえはよいですが、吉原遊廓は
① 料金が高い
② しきたりがめんどくさい
③ 肝心の行為には中々たどり着けない
・・・と、これでは何のために行ったのか分かりません
※吉原の遊女と結ぶ関係は擬似的な結婚とも言われるため、見合いや結納を模した堅苦しい作法が多くあったと伝わります
また
④ 一度馴染みになると浮気厳禁
・・・もうやってられない、と思われる方も少なくないのではないでしょうか
そこへ来ると岡場所は自由です
料金設定だって良心的とは言えないもののピンキリですし、特に堅苦しい作法やしきたりもなく、自由に遊んで目的を果たせます
よほどの不始末をしでかさなければ好きに楽しめるのが岡場所の魅力と言えるでしょう
岡場所の怖さとは
しかし、岡場所は楽しいばかりではありません
安く気楽に遊べる反面、岡場所には非公認ならではの怖さもありました
まずはこの手の場所につきものの性病
天下御免の(≒行政当局がある程度は管理している)吉原遊廓でさえ梅毒などの性病があったのですから、非公認の岡場所では野放し状態だったことでしょう
また営業ルールなど無きに等しく、いわゆるぶったくりなどほとんど美人局じゃないかと疑わしい遊女屋も少なくなかったはずです
この辺りはいちいち記録などされていないため、推測の域を出ないものの、現代の風俗産業を見る限り、かなりブラックであったことは想像に難くありません
もちろん遊女たちの労働&生活環境についても同じことで、いっそ警動してくれとさえ願う遊女もいたのではないでしょうか
岡場所の怖さは、まさに非公認ゆえの自由と表裏一体であったと言えそうです
岡場所の歴史とは
よく遊女(娼婦)は、世界で最も歴史と伝統ある職業と言われますが、岡場所の歴史は吉原遊廓とともに始まりました
※そりゃ吉原遊廓「以外の」遊女屋、またはその集まりを指すのだから当然ですね
岡場所は寺社の門前町や宿場など、人の集まるところに発生し、宝暦年間(1751~1764年)から天明年間(1781~1789年)にかけて最盛期を迎えました
当時の人々が現代的に表現するなら「(千七百)50年代から80年代にかけて発展した」または「18世紀半ばから後半にかけて発展した」などと言ったところでしょう
やがて老中(政権)が田沼意次から松平定信に代わり、後世に伝わる「寛政の改革」が始まると規制が強化
次第に勢いを失っていきます
そして水野忠邦がいわゆる「天保の改革」を推進
改革の一環として綱紀粛正が図られ、岡場所は徹底的に規制・弾圧されました
天保13年(1843年)には江戸四宿(品川・内藤新宿・板橋・千住)を除き、すべての岡場所が根絶されたと言われています
もちろんこれは江戸近郊の話であり、すべての遊女屋が根絶されたわけではないでしょう
地方にはそれらしい場所があちこちに生き残り、人々の需要に応え続けたであろうことは言うまでもありません
そうした意味で岡場所は(何なら現代まで)続いたとも言えますが、一般的には天保の改革(1830~1840年代)をもって廃絶されたと言えるでしょう
終わりに
吉原遊廓の商売仇?となっていた岡場所について紹介してきました
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では、悪印象に描かれていましたが、彼らもまた生きるために必死だったはずです
天下御免の吉原遊廓に比べると謎の多い岡場所ですが、何か面白いエピソードなど見つけたら、また紹介したいと思います
※参考文献:
・渡辺憲司『江戸の岡場所ー非合法<隠売女>の世界』星海社新書、2023年3月
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部
(この記事は、草の実堂の記事で作りました)
吉原遊廓の商売仇?となっていた岡場所について紹介
・岡場所の語源とは
岡場所というと、岡のように小高い場所で開かれていたと思われるかもしれませんが、そういうわけではありません
ことわざに岡目八目(おかめはちもく。傍目八目)という通り、岡には傍(はた、かたわら)や他、脇という意味があります
※傍目八目:囲碁を打っている当事者は熱くなっているから先が読めないが、傍から見ている者は冷静だから八目(8手)先まで読める。つまり「傍からであれば何とでも言える」という意味です
つまり、天下御免の吉原遊廓から見て傍にある、公認されていない他の場所
そんな意味だったのでしょう
・岡場所の魅力とは
岡場所は非公認であることから、吉原遊廓とは違った自由な魅力があったようです
天下御免と言えば聞こえはよいですが、吉原遊廓は
① 料金が高い
② しきたりがめんどくさい
③ 肝心の行為には中々たどり着けない
・・・と、これでは何のために行ったのか分かりません
※吉原の遊女と結ぶ関係は擬似的な結婚とも言われるため、見合いや結納を模した堅苦しい作法が多くあったと伝わります。
また
④ 一度馴染みになると浮気厳禁
・・・もうやってられない、と思われる方も少なくないのではないでしょうか
そこへ来ると岡場所は自由です
料金設定だって良心的とは言えないもののピンキリですし、特に堅苦しい作法やしきたりもなく、自由に遊んで目的を果たせます
よほどの不始末をしでかさなければ好きに楽しめるのが岡場所の魅力と言えるでしょう
・岡場所の怖さとは
しかし、岡場所は楽しいばかりではありません
安く気楽に遊べる反面、岡場所には非公認ならではの怖さもありました
まずはこの手の場所につきものの性病
天下御免の(≒行政当局がある程度は管理している)吉原遊廓でさえ梅毒などの性病があったのですから、非公認の岡場所では野放し状態だったことでしょう
また営業ルールなど無きに等しく、いわゆるぶったくりなどほとんど美人局じゃないかと疑わしい遊女屋も少なくなかったはずです
この辺りはいちいち記録などされていないため、推測の域を出ないものの、現代の風俗産業を見る限り、かなりブラックであったことは想像に難くありません
もちろん遊女たちの労働&生活環境についても同じことで、いっそ警動してくれとさえ願う遊女もいたのではないでしょうか
岡場所の怖さは、まさに非公認ゆえの自由と表裏一体であったと言えそうです
・岡場所の歴史とは
よく遊女(娼婦)は、世界で最も歴史と伝統ある職業と言われますが、岡場所の歴史は吉原遊廓とともに始まりました
※そりゃ吉原遊廓「以外の」遊女屋、またはその集まりを指すのだから当然ですね
性は人間の、もっといえば「動物の性(さが)」ともいえます
江戸の岡場所 非合法<隠売女>の世界 (星海社新書) 新書
非公認の遊女屋「岡場所」
その実態と歴史を追う
「岡場所」とはどんなところなのかに迫る
三千人とも言われる遊女(公娼)を抱え、江戸を訪れる人々の需要に応えていましたが、吉原だけですべて満たせるはずはありません
そこで非公認の遊女屋(私娼)を集めた岡場所(おかばしょ)が開かれ、吉原遊廓の経営を脅かす商売仇となっていきました
時おり当局による警動(けいどう。取り締まり・摘発)が行われたものの、必要悪とばかり半ば黙認されていったようです
そんな岡場所がどんな様子だったのか、紹介していきましょう
岡場所の語源とは
岡場所というと、岡のように小高い場所で開かれていたと思われるかもしれませんが、そういうわけではありません
ことわざに岡目八目(おかめはちもく。傍目八目)という通り、岡には傍(はた、かたわら)や他、脇という意味があります
※傍目八目:囲碁を打っている当事者は熱くなっているから先が読めないが、傍から見ている者は冷静だから八目(8手)先まで読める。つまり「傍からであれば何とでも言える」という意味です
つまり、天下御免の吉原遊廓から見て傍にある、公認されていない他の場所
そんな意味だったのでしょう
岡場所の魅力とは
岡場所は非公認であることから、吉原遊廓とは違った自由な魅力があったようです
天下御免と言えば聞こえはよいですが、吉原遊廓は
① 料金が高い
② しきたりがめんどくさい
③ 肝心の行為には中々たどり着けない
・・・と、これでは何のために行ったのか分かりません
※吉原の遊女と結ぶ関係は擬似的な結婚とも言われるため、見合いや結納を模した堅苦しい作法が多くあったと伝わります
また
④ 一度馴染みになると浮気厳禁
・・・もうやってられない、と思われる方も少なくないのではないでしょうか
そこへ来ると岡場所は自由です
料金設定だって良心的とは言えないもののピンキリですし、特に堅苦しい作法やしきたりもなく、自由に遊んで目的を果たせます
よほどの不始末をしでかさなければ好きに楽しめるのが岡場所の魅力と言えるでしょう
岡場所の怖さとは
しかし、岡場所は楽しいばかりではありません
安く気楽に遊べる反面、岡場所には非公認ならではの怖さもありました
まずはこの手の場所につきものの性病
天下御免の(≒行政当局がある程度は管理している)吉原遊廓でさえ梅毒などの性病があったのですから、非公認の岡場所では野放し状態だったことでしょう
また営業ルールなど無きに等しく、いわゆるぶったくりなどほとんど美人局じゃないかと疑わしい遊女屋も少なくなかったはずです
この辺りはいちいち記録などされていないため、推測の域を出ないものの、現代の風俗産業を見る限り、かなりブラックであったことは想像に難くありません
もちろん遊女たちの労働&生活環境についても同じことで、いっそ警動してくれとさえ願う遊女もいたのではないでしょうか
岡場所の怖さは、まさに非公認ゆえの自由と表裏一体であったと言えそうです
岡場所の歴史とは
よく遊女(娼婦)は、世界で最も歴史と伝統ある職業と言われますが、岡場所の歴史は吉原遊廓とともに始まりました
※そりゃ吉原遊廓「以外の」遊女屋、またはその集まりを指すのだから当然ですね
岡場所は寺社の門前町や宿場など、人の集まるところに発生し、宝暦年間(1751~1764年)から天明年間(1781~1789年)にかけて最盛期を迎えました
当時の人々が現代的に表現するなら「(千七百)50年代から80年代にかけて発展した」または「18世紀半ばから後半にかけて発展した」などと言ったところでしょう
やがて老中(政権)が田沼意次から松平定信に代わり、後世に伝わる「寛政の改革」が始まると規制が強化
次第に勢いを失っていきます
そして水野忠邦がいわゆる「天保の改革」を推進
改革の一環として綱紀粛正が図られ、岡場所は徹底的に規制・弾圧されました
天保13年(1843年)には江戸四宿(品川・内藤新宿・板橋・千住)を除き、すべての岡場所が根絶されたと言われています
もちろんこれは江戸近郊の話であり、すべての遊女屋が根絶されたわけではないでしょう
地方にはそれらしい場所があちこちに生き残り、人々の需要に応え続けたであろうことは言うまでもありません
そうした意味で岡場所は(何なら現代まで)続いたとも言えますが、一般的には天保の改革(1830~1840年代)をもって廃絶されたと言えるでしょう
終わりに
吉原遊廓の商売仇?となっていた岡場所について紹介してきました
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では、悪印象に描かれていましたが、彼らもまた生きるために必死だったはずです
天下御免の吉原遊廓に比べると謎の多い岡場所ですが、何か面白いエピソードなど見つけたら、また紹介したいと思います
※参考文献:
・渡辺憲司『江戸の岡場所ー非合法<隠売女>の世界』星海社新書、2023年3月
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部
(この記事は、草の実堂の記事で作りました)
吉原遊廓の商売仇?となっていた岡場所について紹介
・岡場所の語源とは
岡場所というと、岡のように小高い場所で開かれていたと思われるかもしれませんが、そういうわけではありません
ことわざに岡目八目(おかめはちもく。傍目八目)という通り、岡には傍(はた、かたわら)や他、脇という意味があります
※傍目八目:囲碁を打っている当事者は熱くなっているから先が読めないが、傍から見ている者は冷静だから八目(8手)先まで読める。つまり「傍からであれば何とでも言える」という意味です
つまり、天下御免の吉原遊廓から見て傍にある、公認されていない他の場所
そんな意味だったのでしょう
・岡場所の魅力とは
岡場所は非公認であることから、吉原遊廓とは違った自由な魅力があったようです
天下御免と言えば聞こえはよいですが、吉原遊廓は
① 料金が高い
② しきたりがめんどくさい
③ 肝心の行為には中々たどり着けない
・・・と、これでは何のために行ったのか分かりません
※吉原の遊女と結ぶ関係は擬似的な結婚とも言われるため、見合いや結納を模した堅苦しい作法が多くあったと伝わります。
また
④ 一度馴染みになると浮気厳禁
・・・もうやってられない、と思われる方も少なくないのではないでしょうか
そこへ来ると岡場所は自由です
料金設定だって良心的とは言えないもののピンキリですし、特に堅苦しい作法やしきたりもなく、自由に遊んで目的を果たせます
よほどの不始末をしでかさなければ好きに楽しめるのが岡場所の魅力と言えるでしょう
・岡場所の怖さとは
しかし、岡場所は楽しいばかりではありません
安く気楽に遊べる反面、岡場所には非公認ならではの怖さもありました
まずはこの手の場所につきものの性病
天下御免の(≒行政当局がある程度は管理している)吉原遊廓でさえ梅毒などの性病があったのですから、非公認の岡場所では野放し状態だったことでしょう
また営業ルールなど無きに等しく、いわゆるぶったくりなどほとんど美人局じゃないかと疑わしい遊女屋も少なくなかったはずです
この辺りはいちいち記録などされていないため、推測の域を出ないものの、現代の風俗産業を見る限り、かなりブラックであったことは想像に難くありません
もちろん遊女たちの労働&生活環境についても同じことで、いっそ警動してくれとさえ願う遊女もいたのではないでしょうか
岡場所の怖さは、まさに非公認ゆえの自由と表裏一体であったと言えそうです
・岡場所の歴史とは
よく遊女(娼婦)は、世界で最も歴史と伝統ある職業と言われますが、岡場所の歴史は吉原遊廓とともに始まりました
※そりゃ吉原遊廓「以外の」遊女屋、またはその集まりを指すのだから当然ですね
性は人間の、もっといえば「動物の性(さが)」ともいえます
江戸の岡場所 非合法<隠売女>の世界 (星海社新書) 新書
非公認の遊女屋「岡場所」
その実態と歴史を追う
「岡場所」とはどんなところなのかに迫る