地球上で起きていること、どれだけ知っている?
この地球で当たり前に感じていることでも、うまく説明できないことがありますよね
例えば、「青い空が夕暮れに赤く染まるのはなぜ?」「台風が日本列島めがけてやってくる理由は?」
そんな地球に生きる私たちが知っておくべき「理系雑学」をご紹介します
太陽系を含む地球の歴史をはじめ、地球上で成立した大自然や気候、動植物、資源など、地球をめぐる大疑問にスッキリ回答!
あらためて考えると、私たちはこの地球にまつわるさまざまなことを、じつはほとんど知らないのかもしれないかもしれません
※本記事は雑学総研著の書籍『人類なら知っておきたい 地球の雑学』から一部抜粋・編集しました
「南極」と「北極」どっちが寒い?ちがいはあるの?
北極と南極は、どちらも一面の氷に覆われた極寒の地
同じくらい寒そうに思えるが、じつは南極のほうがずっと寒い
冬場の北極の平均気温はマイナス25℃前後だが、南極はマイナス50~60℃と大きな差がある
これまで観測された地球上でもっとも低い気温は、南極にあるロシアのボストーク基地で記録されたマイナス89.2℃だ
南極のほうが寒いのには、いくつもの理由がある
まずは、北極の氷は北極海に浮かんでいるが、南極の氷は大陸の上にあるという点だ
イメージでは海よりも陸地のほうが暖かそうに思えるが、実際には海のほうが暖かくて冷めにくいのである
海の水は氷になっていないので、0℃より少し低い程度
北の果ての北極の氷の上も、それほどひどい寒さにはならない
また南極でも、海の近くより大陸の内側のほうが寒く、ボストーク基地も内陸部にある
北極と南極は高さが違っている
北極の標高は高くても数十メートルで、氷の厚さも最大10メートルほどだが、南極大陸の平均標高は2000メートル以上もあり、氷の厚さも平均2450メートルにもおよぶ北極と南極は高さが違っている
日本でも山に登れば寒さを感じるように、高いところは気温が低いのである
そして、海流も気温に大きな影響を与えている
北極にはメキシコ湾流という暖流が北アメリカ大陸の南側から大西洋を北上してやってくるため、気温が少し高くなる
しかし、南極は南極周極流という海流によって取り囲まれているので、赤道付近から南下してくる暖かい海流もせき止められ、ますます冷え込んでいるのだ
著=雑学総研/『人類なら知っておきたい 地球の雑学』
(この記事は、レタスクラブの記事で作りました)
「南極」と「北極」ではどっちが寒い?
南極のほうがずっと寒い
南極のほうが寒いのには、いくつもの理由がある
・北極の氷は北極海に浮かんでいるが、南極の氷は大陸の上にあるという点
イメージでは海よりも陸地のほうが暖かそうに思えるが、実際には海のほうが暖かくて冷めにくいのである
海の水は氷になっていないので、0℃より少し低い程度
北の果ての北極の氷の上も、それほどひどい寒さにはならない
また南極でも、海の近くより大陸の内側のほうが寒く、ボストーク基地も内陸部にある
・北極と南極は高さが違っている
北極の標高は高くても数十メートルで、氷の厚さも最大10メートルほどだが、南極大陸の平均標高は2000メートル以上もあり、氷の厚さも平均2450メートルにもおよぶ北極と南極は高さが違っている
日本でも山に登れば寒さを感じるように、高いところは気温が低いのである
・海流も気温に大きな影響を与えている
北極にはメキシコ湾流という暖流が北アメリカ大陸の南側から大西洋を北上してやってくるため、気温が少し高くなる
しかし、南極は南極周極流という海流によって取り囲まれているので、赤道付近から南下してくる暖かい海流もせき止められ、ますます冷え込んでいるのだ
ところで私は北極というとシロクマ、南極というとペンギンをイメージします
人類なら知っておきたい 地球の雑学 (中経の文庫) 文庫
地球(を含めた宇宙)には謎や不思議、ギモンが多くあります
空はなぜ青く、夕焼けは赤いのだろうか!?とか・・・
そんな「理系雑学」を楽しくわかりやすく解説
2025年01月27日
『三国志』謎の方士・左慈は実在した? 曹操を翻弄した不思議すぎる逸話
中国後漢時代末期、三国志の舞台では多くの英雄たちが歴史に名を刻んできた
その中で異彩を放つ人物が、方士・左慈(さじ)である
彼は曹操をはじめとする英雄たちと関わりながらも、神秘的な逸話に彩られた存在だ。
左慈は、後世の小説『三国志演義』では伝説的なキャラクターとして描かれているが、正史である『後漢書』にも記述されている
小説と正史における左慈の記録を比較し、彼が実在した人物である可能性について掘り下げていきたい
『後漢書』における左慈
左慈は、『後漢書』「方術列伝」にその名が登場する
「方術列伝」は、後漢時代における方士(神秘的な術や知識を持つ人々)を記録した章である
左慈字元放,廬江人也。少有神道。
『後漢書』「方術列伝」より引用
『後漢書』によれば、左慈は字を元放といい、廬江郡(現在の安徽省付近)の出身であった
彼は方術、すなわち神秘的な術に幼少の頃から通じていたと書かれている
いくつかの他のエピソードを、意訳で紹介しよう
宴席での奇跡
ある日、曹操が司空を務めていた頃、左慈は曹操の宴席に招かれた
宴席の中で曹操が「江東の松江の鱸(スズキ)があれば宴が完璧なのだが」と言うと、左慈は「釣り上げられます」と答え、水を張った銅盤で竹竿を使って鱸を釣り上げた
出てきた魚は新鮮で3尺(約90センチ)もあり、参席者たちは驚き、曹操も手を打って笑った
しかし、曹操は「一匹では宴に足りない」と言い、左慈がさらに釣ると、またも新鮮な鱸が現れた
曹操は満足し、その場で調理させて全員に振る舞った
さらに曹操が「蜀の生姜が欲しい」と言うと、左慈は「すぐに用意できます」と答え、瞬く間に生姜を取り寄せて曹操に差し出した
これに驚いた曹操は、「ちょうど蜀に反物(錦)を買いに行っている使者がいるので、追加注文を頼むように」と左慈に伝える
その直後、偶然にも蜀から戻った使者が反物を届けた
この不思議な一致に宴席の全員が驚嘆した
山中での追跡劇
後日、曹操が近郊に百人以上の従者を伴って出かけた際、左慈はたった一升の酒と一斤の干し肉で全員を酔わせ、満腹にさせた
この奇妙な出来事に曹操は驚きつつも不快感を覚え、「何か裏があるはずだ」と徹底的に調査させた
すると、街中の酒蔵や市場から酒や干し肉が忽然と消えていたことが判明した
曹操はこれに激怒し、左慈の逮捕を命じたが、左慈は壁の中へと姿を消し、その行方をくらませた
数日後、左慈が山頂にいるとの報告を受けた曹操は、追跡部隊を差し向けた
しかし、左慈は山中の羊の群れに紛れ込み、またしても捕縛を免れた
曹操の部下たちは必死に羊の群れの中を探したが、左慈は見つからず、捜索は徒労に終わった
羊との会話
「術を試したいだけだ。殺すつもりはない」と、曹操は伝言を伝えると、羊の群れの中から一頭の羊が立ち上がり、なんと人間の言葉で「その言葉を信じましょう。お望みの術をお見せします」と応じた
すると直後、他の羊たちも次々と立ち上がり、人間の言葉で話し始めた
羊たちはどれも同じような声と話しぶりで、左慈を特定することは不可能だった
羊の群れ全体が左慈の術によって操られているような光景に、曹操の部下たちは恐れおののき、それ以上の追跡を断念せざるを得なかった
この不可解な現象により、左慈は再び曹操の手から逃れることに成功した
これらの逸話は、左慈が超自然的な力を持つと信じられていたことを物語っている
どれも信じがたい話であるが、彼が正史に記録された人物である以上、当時の人々にとって重要な存在であったことは間違いないだろう
魏の時代に書かれた曹丕の『典論』や曹植の『弁道論』にも、方士たちを批判的に論じつつも左慈についての言及があり、「気の導引」や「房中術」に長けた人物であることが記録されている
ただし、いずれの文献も神秘的な術に関する記述が多いため、誇張や後世の脚色が含まれている可能性が高い
とはいえ、これらの文献で左慈の名が繰り返し登場することは、彼が実在した可能性を示唆する一つの根拠となるだろう
三国志演義における左慈
小説『三国志演義』では、左慈はさらに神秘的で超常的な力を持つ仙人として描かれている
彼の役割は、曹操を翻弄し、間接的に劉備を助けることに重点が置かれている。
蜜柑の術
左慈は、曹操のもとに運ばれる予定だった蜜柑を使い、驚くべき術を披露した
曹操が蜜柑の皮を剥くと中身は空っぽだったが、左慈が剥くと新鮮な果肉が現れたのである
曹操への挑発
ある時、左慈は「遁甲天書」を渡す代わりに、曹操に劉備へ国を譲るよう求めた
これに激怒した曹操は左慈を捕らえ拷問するが、左慈は何をされても平然としていた
盃を鳩に変える術
宴席で左慈は盃を空中に投げ、それを鳩に変える術を披露し、その場から姿を消した
大量の分身
曹操は左慈を捕まえるよう命じるが、町中に左慈そっくりの姿が大量に現れる
捕えられた「左慈」たちを斬首すると、その首は青い煙となって天に昇り、本物の左慈は悠然と姿を消してしまった
このように『演義』では、左慈は劉備を直接助けることはしないが、間接的に劉備を支援する役回りで描かれている
おわりに
左慈は、正史『後漢書』やその他の史料に複数記載されていることから、実在した可能性が高いと考えられる
しかし、その記述の多くは神秘的で、当時の人々が方士に抱いていた幻想や期待を色濃く反映していると言える
小説『三国志演義』では、物語の構成上、曹操の対抗者として描かれ、その神秘性がさらに強調された
左慈にまつわるエピソードの多くはフィクションと考えるのが妥当である
ただし、彼が何らかの不思議な現象を起こしたり、特異な行動で周囲を驚かせたりした人物だった可能性は否定できないだろう
参考 : 『後漢書』『三国志演義』他
文 / 草の実堂編集部
(この記事は、草の実堂の記事で作りました)
左慈はいくつかの正史にも登場する方士である
いわゆる神秘的な術を使う仙人のような人物だ
正史『後漢書』やその他の史料に複数記載されていることから、実在した可能性が高いと考えられる
しかし、その記述の多くは神秘的で、当時の人々が方士に抱いていた幻想や期待を色濃く反映していると言える
小説『三国志演義』では、物語の構成上、曹操の対抗者として描かれ、その神秘性がさらに強調された
(『三国志演義』は蜀の劉備寄りで書かれた小説)
左慈にまつわるエピソードの多くはフィクションと考えるのが妥当である
ただし、彼が何らかの不思議な現象を起こしたり、特異な行動で周囲を驚かせたりした人物だった可能性は否定できないだろう
左慈などが神秘的術で曹操などを翻弄する記述は誇張もあっただろうが小説(正史の)を盛り上げている
ビジネスに効く教養としての中国古典 単行本
中国古典には現代にも通じる多くの叡智が詰まっている
ビジネスや実生活に応用できる
特に守屋洋氏の著作は平易でわかりやすく私も愛読しているものが多い
実践的だ
その中で異彩を放つ人物が、方士・左慈(さじ)である
彼は曹操をはじめとする英雄たちと関わりながらも、神秘的な逸話に彩られた存在だ。
左慈は、後世の小説『三国志演義』では伝説的なキャラクターとして描かれているが、正史である『後漢書』にも記述されている
小説と正史における左慈の記録を比較し、彼が実在した人物である可能性について掘り下げていきたい
『後漢書』における左慈
左慈は、『後漢書』「方術列伝」にその名が登場する
「方術列伝」は、後漢時代における方士(神秘的な術や知識を持つ人々)を記録した章である
左慈字元放,廬江人也。少有神道。
『後漢書』「方術列伝」より引用
『後漢書』によれば、左慈は字を元放といい、廬江郡(現在の安徽省付近)の出身であった
彼は方術、すなわち神秘的な術に幼少の頃から通じていたと書かれている
いくつかの他のエピソードを、意訳で紹介しよう
宴席での奇跡
ある日、曹操が司空を務めていた頃、左慈は曹操の宴席に招かれた
宴席の中で曹操が「江東の松江の鱸(スズキ)があれば宴が完璧なのだが」と言うと、左慈は「釣り上げられます」と答え、水を張った銅盤で竹竿を使って鱸を釣り上げた
出てきた魚は新鮮で3尺(約90センチ)もあり、参席者たちは驚き、曹操も手を打って笑った
しかし、曹操は「一匹では宴に足りない」と言い、左慈がさらに釣ると、またも新鮮な鱸が現れた
曹操は満足し、その場で調理させて全員に振る舞った
さらに曹操が「蜀の生姜が欲しい」と言うと、左慈は「すぐに用意できます」と答え、瞬く間に生姜を取り寄せて曹操に差し出した
これに驚いた曹操は、「ちょうど蜀に反物(錦)を買いに行っている使者がいるので、追加注文を頼むように」と左慈に伝える
その直後、偶然にも蜀から戻った使者が反物を届けた
この不思議な一致に宴席の全員が驚嘆した
山中での追跡劇
後日、曹操が近郊に百人以上の従者を伴って出かけた際、左慈はたった一升の酒と一斤の干し肉で全員を酔わせ、満腹にさせた
この奇妙な出来事に曹操は驚きつつも不快感を覚え、「何か裏があるはずだ」と徹底的に調査させた
すると、街中の酒蔵や市場から酒や干し肉が忽然と消えていたことが判明した
曹操はこれに激怒し、左慈の逮捕を命じたが、左慈は壁の中へと姿を消し、その行方をくらませた
数日後、左慈が山頂にいるとの報告を受けた曹操は、追跡部隊を差し向けた
しかし、左慈は山中の羊の群れに紛れ込み、またしても捕縛を免れた
曹操の部下たちは必死に羊の群れの中を探したが、左慈は見つからず、捜索は徒労に終わった
羊との会話
「術を試したいだけだ。殺すつもりはない」と、曹操は伝言を伝えると、羊の群れの中から一頭の羊が立ち上がり、なんと人間の言葉で「その言葉を信じましょう。お望みの術をお見せします」と応じた
すると直後、他の羊たちも次々と立ち上がり、人間の言葉で話し始めた
羊たちはどれも同じような声と話しぶりで、左慈を特定することは不可能だった
羊の群れ全体が左慈の術によって操られているような光景に、曹操の部下たちは恐れおののき、それ以上の追跡を断念せざるを得なかった
この不可解な現象により、左慈は再び曹操の手から逃れることに成功した
これらの逸話は、左慈が超自然的な力を持つと信じられていたことを物語っている
どれも信じがたい話であるが、彼が正史に記録された人物である以上、当時の人々にとって重要な存在であったことは間違いないだろう
魏の時代に書かれた曹丕の『典論』や曹植の『弁道論』にも、方士たちを批判的に論じつつも左慈についての言及があり、「気の導引」や「房中術」に長けた人物であることが記録されている
ただし、いずれの文献も神秘的な術に関する記述が多いため、誇張や後世の脚色が含まれている可能性が高い
とはいえ、これらの文献で左慈の名が繰り返し登場することは、彼が実在した可能性を示唆する一つの根拠となるだろう
三国志演義における左慈
小説『三国志演義』では、左慈はさらに神秘的で超常的な力を持つ仙人として描かれている
彼の役割は、曹操を翻弄し、間接的に劉備を助けることに重点が置かれている。
蜜柑の術
左慈は、曹操のもとに運ばれる予定だった蜜柑を使い、驚くべき術を披露した
曹操が蜜柑の皮を剥くと中身は空っぽだったが、左慈が剥くと新鮮な果肉が現れたのである
曹操への挑発
ある時、左慈は「遁甲天書」を渡す代わりに、曹操に劉備へ国を譲るよう求めた
これに激怒した曹操は左慈を捕らえ拷問するが、左慈は何をされても平然としていた
盃を鳩に変える術
宴席で左慈は盃を空中に投げ、それを鳩に変える術を披露し、その場から姿を消した
大量の分身
曹操は左慈を捕まえるよう命じるが、町中に左慈そっくりの姿が大量に現れる
捕えられた「左慈」たちを斬首すると、その首は青い煙となって天に昇り、本物の左慈は悠然と姿を消してしまった
このように『演義』では、左慈は劉備を直接助けることはしないが、間接的に劉備を支援する役回りで描かれている
おわりに
左慈は、正史『後漢書』やその他の史料に複数記載されていることから、実在した可能性が高いと考えられる
しかし、その記述の多くは神秘的で、当時の人々が方士に抱いていた幻想や期待を色濃く反映していると言える
小説『三国志演義』では、物語の構成上、曹操の対抗者として描かれ、その神秘性がさらに強調された
左慈にまつわるエピソードの多くはフィクションと考えるのが妥当である
ただし、彼が何らかの不思議な現象を起こしたり、特異な行動で周囲を驚かせたりした人物だった可能性は否定できないだろう
参考 : 『後漢書』『三国志演義』他
文 / 草の実堂編集部
(この記事は、草の実堂の記事で作りました)
左慈はいくつかの正史にも登場する方士である
いわゆる神秘的な術を使う仙人のような人物だ
正史『後漢書』やその他の史料に複数記載されていることから、実在した可能性が高いと考えられる
しかし、その記述の多くは神秘的で、当時の人々が方士に抱いていた幻想や期待を色濃く反映していると言える
小説『三国志演義』では、物語の構成上、曹操の対抗者として描かれ、その神秘性がさらに強調された
(『三国志演義』は蜀の劉備寄りで書かれた小説)
左慈にまつわるエピソードの多くはフィクションと考えるのが妥当である
ただし、彼が何らかの不思議な現象を起こしたり、特異な行動で周囲を驚かせたりした人物だった可能性は否定できないだろう
左慈などが神秘的術で曹操などを翻弄する記述は誇張もあっただろうが小説(正史の)を盛り上げている
ビジネスに効く教養としての中国古典 単行本
中国古典には現代にも通じる多くの叡智が詰まっている
ビジネスや実生活に応用できる
特に守屋洋氏の著作は平易でわかりやすく私も愛読しているものが多い
実践的だ
大相撲初場所は優勝決定巴戦を制し12勝3敗で2回目の優勝
26日に大相撲初場所千秋楽行われた
優勝は、2敗の平幕・金峰山、3敗の大関・豊昇龍、平幕・王鵬に優勝が絞られた
千秋楽の取り組みは・・・
金峰山ー王鵬は王鵬が勝ち、豊昇龍-琴櫻は豊昇龍が勝った
その結果、豊昇龍、王鵬、金浦山の優勝決定巴戦へ
豊昇龍が金峰山、王鵬に連勝し、2回目の優勝
逆転優勝、1日3勝、大関の意地
豊昇龍は横綱昇進の可能性も
(幕内最高)優勝 豊昇龍 12勝3敗(2回目)
三賞
・殊勲賞 該当者なし
・敢闘賞 霧島(2回目)、金峰山(2日目)
・技能賞 王鵬(初)
優勝は、2敗の平幕・金峰山、3敗の大関・豊昇龍、平幕・王鵬に優勝が絞られた
千秋楽の取り組みは・・・
金峰山ー王鵬は王鵬が勝ち、豊昇龍-琴櫻は豊昇龍が勝った
その結果、豊昇龍、王鵬、金浦山の優勝決定巴戦へ
豊昇龍が金峰山、王鵬に連勝し、2回目の優勝
逆転優勝、1日3勝、大関の意地
豊昇龍は横綱昇進の可能性も
(幕内最高)優勝 豊昇龍 12勝3敗(2回目)
三賞
・殊勲賞 該当者なし
・敢闘賞 霧島(2回目)、金峰山(2日目)
・技能賞 王鵬(初)