2025年01月19日

不気味な『目玉』の怪物たち 〜目に宿る神話と妖怪伝承

「目」は人間にとって欠かせない重要な器官である

視覚を失えば、周囲の状況を把握することが難しくなり、日常生活に大きな支障をきたすだろう
そのため、「目」を大切にすることは、誰にとっても必要不可欠なことである

だが神話や幻想の世界においては、その特徴的な「目」を以ってして、我々人間の視覚に訴えかけ、恐怖を植え付けてくる怪物たちの伝承が、数多く語り継がれている

そんな「目」にまつわる恐るべき怪異について、解説を行っていく

1. エル・クエーロ

エル・クエーロ(El Cuero)またはクエーロとは、南米チリの先住民族、マプチェ族やテウェルチェ族の伝承に登場する、忌まわしき怪物である

その名はスペイン語で「生皮」を意味するという
(チリは長らくスペインの植民地であったがゆえ、スペイン語で呼称される怪物が非常に多い)

牛の皮をビローンと伸ばした平べったいマントのような形をしており、さらにその表面には、無数の目玉や触手が生えているという、極めてグロテスクな姿をしているそうだ

この怪物は川や湖、海など、水のある場所ならどこにでも生息しているという
普段は水底で丸まりじっとしているが、水辺に近づく人間がいると、触手を伸ばして捕らえ、水中に引きずり込む
そしてその平たい体で包み込み、生きたまま消化してしまうのだそうだ

この怪物を退治するには、水の中にサボテンを投げ込むのが良いとされる

サボテンを獲物だと勘違いし包み込んだエル・クエーロは、トゲによりズタズタに引き裂かれ、失血死してしまうという

2. 手の目

手の目(てのめ)は、江戸時代の妖怪画家・鳥山石燕の画集「画図百鬼夜行」に登場する妖怪である

月明りの下、目玉のついた掌を掲げる坊主頭の座頭(盲人の按摩師・琵琶法師などのこと)が、ススキの草むらからヌゥーッと現れる様子が描かれている
しかし説明文が書かれておらず、詳細不明の妖怪である

一説によると、目のある掌を上げている様子は、不正やイカサマを暴く行為である「手目を上げる」を意味しており、また、坊主頭は「ハゲる」、すなわち賭け事に負けて身銭がなくなることを意味しているという

そして背景の月とススキは、花札の絵札を表しているとのことだ。

これらの要素は「博打」を連想させるものであり、つまり手の目は、博打に関する言葉遊びから創作された妖怪だと考えられている。

3. 目目連

目目連(もくもくれん)とは、鳥山石燕の画集「今昔百鬼拾遺」に描かれた、廃屋の障子に浮かぶ、無数の眼球の妖怪である

石燕の解説によれば、かつてこの家に住んでいた囲碁棋士の情念が、目となって表れたものだという

小説家・山田野理夫の怪談集「東北怪談の旅」には、目目連と思しき妖怪が登場するエピソードが収録されている

とある商人が木材を買いに、江戸から津軽へ向かったという。
しかし宿に泊まる金が勿体ないと考え、その辺にあった空き家で一泊することにしたそうだ。

夜になり商人は寝転んでウトウトとしていたが、ふと障子の方を見てみると、無数の目玉に凝視されていることに気がついた。
ところが商人は一ミリも驚くことなく、それどころかこれ幸いと、目玉を集めて袋に詰め込んだ。
そして目玉を江戸に持ち帰り、眼科医に売り払ったとのことだ。

なんとも商魂たくましいエピソードである

4. 尻目╱ぬっぽり坊主

尻目(しりめ)とは、その名の通り肛門に眼球が存在するという、凄まじくインパクトのある妖怪である

漫画家・水木しげるの解説によると、尻目は夜道を歩く人間の前に現れ、肛門の目を見せつけて驚かせる妖怪だという

しかし尻目という名前は、水木しげるが独自に考え出したものであり、この妖怪の本来の名は、「ぬっぽり坊主」というものである

江戸時代の俳人・与謝蕪村が宝暦4年~7年頃(1754~1757年)に作成したとされる、「蕪村妖怪絵巻」にて、ぬっぽり坊主は描かれている
蕪村の解説によると、この妖怪には目も鼻もないが、代わりに尻の穴に、「稲妻のごとく光る」一つの目が存在するという

出会ってしまえば、一生モノのトラウマになること間違いなしの妖怪である

5. バロール

バロール(Balor)はケルト神話に登場する、フォモール族という魔族の王である

隻眼の強大な魔神であり、その目は見たもの全てを抹殺する「邪眼」であったという
ただし、瞼が非常に重いため、部下が4人がかりで持ち上げる必要があったそうだ

フォモール族はダーナ神族という神々の集団と対立しており、その軋轢はやがて、「マグ・トゥレドの戦い」という大戦争へと繋がった

戦争においてバロールは邪眼を駆使し、ダーナ神族側を大いに苦しめた
だが太陽の神「ルー」が投げた石に目を貫かれ、バロールは死んでしまう

実はルーの母親はバロールの娘であり、つまりルーはバロールの孫にあたる神であった

バロールは生前「お前は孫に殺される」という予言を受けており、予言を恐れたバロールは、孫がこの世に生まれぬよう様々な策を講じた

だが結局、孫であるルーは生まれてしまい、予言通りバロールは孫に殺されることになったのである

参考 : 『妖怪図鑑』『画図百鬼夜行』他
文 / 草の実堂編集部

(この記事は、草の実堂の記事で作りました)

目玉の妖怪といえば私は「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉おやじを想起する

目玉おやじは手のひらサイズだし、普段は強いとは思えない
(ただし、妖怪の知識と生命力は凄い!!)

でもいざとなるとものすごく強い!!

鬼太郎が一方的にやられた強豪妖怪・火車を「逆餅殺し」で倒したり、「まぼろしの汽車」で鬼太郎を救ったりしている




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posted by june at 13:18| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モアイだけじゃない!イースター島の「鳥人間伝説」とは

イースター島は太平洋上に浮かぶ、小さな島である
正式名称をパスクア島と言い、現在はチリ共和国が有する島となっている

イースター島と聞いて、真っ先に思い浮かぶものといえば、やはりモアイ像であろう

モアイは「何のために作られた」かは、未だはっきりと解明されてはおらず、研究者を悩ませ続けている。

だが、イースター島にはモアイ以外にも「鳥人」と呼ばれる謎の存在が信仰されていた形跡が残っている

神秘のベールに包まれた鳥人の伝説について、解説を行っていく

鳥人信仰の歴史

イースター島のモアイ崇拝は、10世紀頃から始まったとされている

だが16世紀頃になると、人口増加による食糧不足から部族間での対立が起こり、互いのモアイを倒し合う「フリ・モアイ」という争いが始まった

こうしてモアイ崇拝は段々と廃れていき、17世紀頃になると、新規のモアイは一体も作られなくなったという

代わりに台頭したのが、創造神マケマケ(Makemake)への信仰である

マケマケはイースター島において、モアイ作りが始まる以前に崇拝されていた古の神であり、いわば信仰のリバイバル(復活)が起きたというわけである

マケマケは鳥と関わりの深い神であり、鳥人は、このマケマケと化身だと現在では考えられている

マケマケの伝説

マケマケには様々な神話が存在するが、近代のイースター島において特に重要視されたのが、次の伝承である

(意訳・要約)

かつて、イースター島のマタベリという地では、絶え間なく争いが繰り返されていた。

マタベリは食べ物が少なく、かろうじて魚は取れるが、味が非常に不味かった。
人々は必然的に食料の奪い合いを始め、やがて奪う食料すらなくなると、今度は互いの肉を食べ始めるようになった。

そこへマチロヒヴァという地から、一人の神がやって来た。
名をマケマケといい、良識のある慈悲深い神であった。

マケマケはマタベリの惨状を見て、大いに嘆いた。
そこでこの地の人々に、鳥を与えることを決めたという。
味も良く栄養満点な鳥肉を食べれば、人々は飢えることなく、争いも起きないだろうと考えたからだ。
マタベリの住民たちは大いに喜び、マケマケに感謝の言葉を送った。

それからしばらく経ち、マケマケは様子をうかがいに、再びマタベリへ訪れた。
「きっと皆、鳥肉のおかげで健やかに暮らしているだろう」そうマケマケは思っていた。

だが住人たちは未だ飢餓状態であり、互いに殺し合い、肉を貪る有様であった。

「これは一体どういうことか?」

マケマケは住民にたずねた。すると住民は、

「へぇ、あなた様がくれた鳥を全部食べ尽くしたので、こうして再び戦争を起こし、敵を食っているのです」と答えた。

マケマケは住民たちのあまりの愚かさに、呆れ果ててしまった。

「よく聞けお前ら。鳥が育てば卵を産む。卵からは新たな鳥が生まれる。ゆえに卵を産むまで、鳥を食べてはならない」

マケマケは、このように住民たちに言い聞かせ、再び鳥を与えた。

時が過ぎ、心配になったマケマケが、三度マタベリへ訪れたところ案の定、住民たちは殺し合いをしていた。

「お前たちは一体何をしているのだ?」

半ばうんざりしながらも、マケマケは住民にたずねた。

「へぇ、あなた様の言う通り、鳥が卵を産んだので、それを食べました」

「卵を食べただと?お前らは馬鹿なのか?」

「へぇ、卵は美味しいうえに栄養満点、優れた食材でございます。ちなみに卵を産んだ後の鳥も、もちろん食べました。ごちそう様でございます」

マケマケは絶望した。マタベリの住民たちは、救い難い蛮族であった。
だがそれでも、マケマケは神であったので、どんな痴れ者であろうと救わねばならぬ義務があった。

そこでマケマケは、イースター島の南にあるモツ・ヌイという小島に、鳥を放つことにした。
モツ・ヌイは険しく人間は立ち入れないため、鳥は安全に繁殖することができる。

マタベリの住民は「モツ・ヌイからたまに飛んでくる鳥を食べていればよい」そう考えたのである。


モツ・ヌイには毎年、セグロアジサシという渡り鳥が来訪し、卵を産むことから、このような伝説が生まれたと考えられている

そしてこの伝説に倣って行われていた儀式が、「鳥人儀礼」である

過酷極まりないイースター島の「鳥人儀礼」とは

「鳥人儀礼」とは、イースター島のその年における支配者を決める儀式である

毎年7月になると、各部族から選出された屈強な男たちが、マタベリの地へと集められた
マタベリにて儀式に必要な準備を整えた後、男たちは島の最南端、オロンゴの岬へと向かう

8月になると、いよいよ儀式が始まる

よーいドンで選手たちは、オロンゴから約2km先の海上に浮かぶ、モツ・ヌイへと泳いで渡る
この海域は波が強く、多くの選手が溺れ死んだという

また、人食いサメの生息地でもあり、運悪く食われる者もいたそうだ
(現在は乱獲により、サメは減少しているという)

命からがらモツ・ヌイへと上陸した選手たちは、洞窟の中でしばらく生活をする

セグロアジサシの産卵時期まで、ここでひっそりと過ごす

9月になると競争は激化し、選手たちは互いに殺し合うこともあったそうだ

一番最初に卵を確保した選手は、再び泳いでオロンゴの岬まで戻る

そして自身の部族の首長に卵を手渡した瞬間に、その首長はマケマケの化身である鳥人「タンガタ・マヌ」と認められ、一年に及ぶ島の支配権を得たのである
(苦労した部下ではなく、その上司が手柄を得るというのは、現代社会にも通ずる世知辛さがある)

だが19世紀中頃になると、白人たちの侵略が始まり、鳥人儀礼は廃止された

島民たちは奴隷として連れ出され、イースター島の文化の殆どが、灰燼と化してしまったのである

参考 : 『世界遺産への旅』『ハワイの神話と伝説』他
文 / 草の実堂編集部

(この記事は、草の実堂の記事で作りました)

イースター島といえば世界遺産にもなっているモアイ像の巨石が有名だ

しかし、イースター島には「鳥人間伝説」もある

今では廃れてしまったが



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posted by june at 04:23| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする