2025年01月02日

「うるう年」はなぜ2月?1年で2月だけが短い理由

地球上で起きていること、どれだけ知っている?

この地球で当たり前に感じていることでも、うまく説明できないことがありますよね
例えば、「青い空が夕暮れに赤く染まるのはなぜ?」「台風が日本列島めがけてやってくる理由は?」

そんな地球に生きる私たちが知っておくべき「理系雑学」をご紹介します
太陽系を含む地球の歴史をはじめ、地球上で成立した大自然や気候、動植物、資源など、地球をめぐる大疑問にスッキリ回答!
あらためて考えると、私たちはこの地球にまつわるさまざまなことを、じつはほとんど知らないのかもしれないかもしれません

※本記事は雑学総研著の書籍『人類なら知っておきたい 地球の雑学』から一部抜粋・編集しました


「うるう年」はなぜ2月?2月だけ日数が少ない理由とは!

4年に1度、やってくるのが「うるう年」
いつもの2月は28日までだが、うるう年には29日まである
だが、なぜこれは2月にあるのか
また、なぜ2月だけほかの月より日数が少ないのだろう

うるうは漢字で「閏」と書いて、「余分」という意味
地球の公転周期が正確には365.2422日なので暦がずれないよう、この日を加えることで調整しているのだ

古代社会において、暦をつくるのは統治者の大事な役目だった
農耕で収穫をあげるためには、季節を正確に知らなくてはならないからだ
古代バビロニアでは、月の観測をもとに暦がつくられた。これが太陰暦で、「月」や「日」の数え方もこのとき始まったと考えられる
古代エジプトでつくられた暦は太陽暦の起源となり、これが古代ローマに受け継がれた

うるう年は、紀元前46年にローマのユリウス・カエサルによって制定され、翌年1月1日から実施された
これが2月になったのは、古代ローマでは、1年は春の3月から始まると考えられていたためである
2月は1年で最後の年
そのため日数が少なく、うるう年もそこに付け加えられることになったのだ

このユリウス暦は、ヨーロッパで長く用いられたが、それでもまだわずかながらズレが出たため、16世紀のローマ教皇グレゴリウス13世がより精度の高い暦を制定した
4年ごとでも100で割り切れる年はうるう年にしない、ただし400で割り切れる年はうるう年にするというもので、これが現在広く世界で使われているグレゴリオ暦である

日本では、中国から伝わった太陰太陽暦を長いあいだ使っていた
これは、太陰暦に太陽の運行周期を加えて調整した暦である

明治の世になって、明治5年12月2日(1872年12月31日)、明治6年1月1日(1873年1月1日)としてまずユリウス暦が、1898年にはグレゴリオ暦が採用され、それまでの暦は旧暦と呼ばれるようになった

著=雑学総研/『人類なら知っておきたい 地球の雑学』

(この記事は、レタスクラブの記事で作りました)

「うるう年」はなぜ2月?2月だけ日数が少ない理由とは!

地球の公転周期が正確には365.2422日なので暦がずれないよう、この日を加えることで調整しているのだ

古代社会において、暦をつくるのは統治者の大事な役目だった
農耕で収穫をあげるためには、季節を正確に知らなくてはならないからだ
古代バビロニアでは、月の観測をもとに暦がつくられた。これが太陰暦で、「月」や「日」の数え方もこのとき始まったと考えられる
古代エジプトでつくられた暦は太陽暦の起源となり、これが古代ローマに受け継がれた

うるう年は、紀元前46年にローマのユリウス・カエサルによって制定され、翌年1月1日から実施された
これが2月になったのは、古代ローマでは、1年は春の3月から始まると考えられていたためである
2月は1年で最後の年
そのため日数が少なく、うるう年もそこに付け加えられることになったのだ

このユリウス暦は、ヨーロッパで長く用いられたが、それでもまだわずかながらズレが出たため、16世紀のローマ教皇グレゴリウス13世がより精度の高い暦を制定した
4年ごとでも100で割り切れる年はうるう年にしない、ただし400で割り切れる年はうるう年にするというもので、これが現在広く世界で使われているグレゴリオ暦である

日本では、中国から伝わった太陰太陽暦を長いあいだ使っていた
これは、太陰暦に太陽の運行周期を加えて調整した暦である

明治の世になって、明治5年12月2日(1872年12月31日)、明治6年1月1日(1873年1月1日)としてまずユリウス暦が、1898年にはグレゴリオ暦が採用され、それまでの暦は旧暦と呼ばれるようになった




人類なら知っておきたい 地球の雑学 (中経の文庫) 文庫

地球(を含めた宇宙)には謎や不思議、ギモンが多くあります
空はなぜ青く、夕焼けは赤いのだろうか!?とか・・・
そんな「理系雑学」を楽しくわかりやすく解説
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米国市場・日本市場とも元旦でお休み

(2025年1月)1日(現地時間)のNY株(ダウ平均株価)などと同日(日本時間)の日経平均株価は元旦でお休み
posted by june at 04:35| Comment(0) | 株価動向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【正体不明の怪異たち】姿は知られているが、何をするか分からない妖怪伝説

『妖怪絵巻』というものをご存知だろうか

文字通り妖怪を描いた巻物の総称であり、平安~江戸時代にかけて、数多くの作品が、様々な絵師によって描かれた

江戸時代になると印刷技術が発達し、多くの妖怪書物が民間にも出回った
妖怪は庶民に消費される娯楽であり、選り取り見取りの妖怪たちは、人々を大いに楽しませたのである

妖怪画の基本スタイルとして、妖怪のイラストと共に、その妖怪についての詞書(説明文)を記載する、というものがある
だが中には、詞書(説明文)が付属していない、イラストだけの妖怪も数多く存在する

そういった妖怪は謎多き存在として、現代においても様々な考察がなされ、妖怪マニアたちを楽しませている

それら「姿だけ分かっている妖怪」たちとその解釈について、解説を行っていきたい

1.うわん

うわんは、江戸時代の妖怪画に多く描かれている妖怪の一つである

絵師・佐脇嵩之が記した『百怪図巻』には、歯はお歯黒で黒く染まり、三本の指から生える爪は鋭利に尖った、恐ろしい姿のうわんが描かれている
解説文はなく詳細不明であり、それゆえ様々な解釈がされている妖怪である

怪奇作家・佐藤有文の説によれば、うわんは廃れた寺などに生息する妖怪であり、人が通りかかると「うわん!」と躍り出てくるそうだ

もし、その人が驚いて腰を抜かしてしまえば、そのままうわんに惨殺されてしまう
しかし慌てずに、こちらも逆に「うわん!」と言い返すことで、この妖怪は退散するという

また、小説家・山田野理夫の怪談集「東北怪談の旅」には、以下のようなエピソードが収録されている

(意訳・要約)

これは江戸時代の青森県(津軽藩だろうか?)の話である。

とある夫婦が、古い屋敷を購入して移り住んだそうだ。
だが引っ越してきたその日の夜に、何者かが「うわん!うわん!」と頻りに叫ぶので、二人は一睡もできなかった。

翌朝、近所の人々に聞き込みをしてみたが、誰一人としてそのような声を聞いた者はいないという。
それどころか、疲労困憊し、目も真っ赤に充血した二人を見て近所の人々は、「引っ越し初日からお盛んですな(笑)」などと、からかう始末であった。

しかし、その話を聞いたとある老人は、こう語った。

「古い屋敷には得てして、うわんという妖怪が棲みつくものだ。あなた方が聞いた声は、うわんのものに間違いないだろう」

つまり、この家に住んでいる限り、一生「うわん!」という声に悩まされ続けるのである。

これでは夜の営みも、ままならないだろう。

2.苧うに

苧うに(おうに)とは、江戸時代の妖怪画家・鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれている妖怪だ

その姿は、全身が毛に覆われ、耳まで口が裂けた、鬼のような出で立ちである
やはり解説文がないため、どのような妖怪かは分かっていない

注目すべきは、その特徴的な名前であろう
苧うにの「苧」はカラムシ、もしくはその繊維で作った糸を意味する言葉である

苧に関係の深い妖怪の一つに、「山姥(やまうば)」という妖怪が挙げられる
山姥は山中に住む老婆の妖怪で、人を喰らう恐ろしい怪物だとされる
だが中には、人助けを行う善良な山姥も存在する

女たちが苧から糸を作る作業をしていると、突然現れた山姥が手伝ってくれたというエピソードが、日本各地に伝承として残っているそうだ

苧から糸を作り出すことを、「苧績(おうみ)」と言う
この「苧績」が転じて「苧うに」となったと考えられる

つまり、苧うにという妖怪は、山姥そのものを表しているという説が有力である

3.為何歟

為何歟(なんじゃか)は、文政3年(1820年)頃に作られたとされる、作者不明の妖怪絵巻「化け物尽くし絵巻」に描かれる、謎の妖怪である

なんとこの妖怪は、胸から上の部分と足首が描かれておらず、下半身しか描写されていない、前代未聞の妖怪である
もしかしたら下半身だけの妖怪なのかも知れないが、それはそれで極めて前衛的な姿といえる

一応、尻尾のようなものはついており、手もどことなく猫の手に見えなくもない
このため、獣が人間に化けた妖怪ではないかと、語られることがある

他にも、為何歟という名前自体が、言葉遊びになっているという説も存在する
為何は「なにすれぞ」、つまり「何で?」「どうして?」といった意味になる
歟は文末に付ける言葉であり、「~か?」「~であろうか」といった意味だ

つまり為何歟とは「なんだこれ?」といった意味であり、それを表現した結果、このような奇抜な姿の妖怪が描かれたのではないかと考えられている

4.あすこここ

あすここことは、肥後国(現在の熊本県)の絵師・尾田郷澄が天保3年(1832年)に作成した妖怪絵巻、「百鬼夜行絵巻」に登場する妖怪である

その姿は、暗黒の霧の中に無数の怪物の手や顔が浮かんでいるという、なんとも悍ましいものだ
例によって詳細不明の妖怪であり、その名前や姿から、様々な考察がなされている

あすこ、は「あそこ」であり、「ここ」と合わせて、場所を指すという説がある
つまり「あそこにもここにも妖怪がいる」様相を描いたものであるという解釈だ

他には「明日も此処にいる」という解釈があり、この場合、毎日その場で、ずっと漂っている妖怪ということになる

未来永劫存在し続ける、普遍の存在というわけだ

参考 : 『東北怪談の旅』『続日本妖怪大全』『妖怪図鑑』他
文 / 草の実堂編集部

(この記事は、草の実堂の記事で作りました)

妖怪絵巻などに描かれた正体不明の妖怪たちがいる

通常は絵とともにその妖怪に関する説明も記されているが絵だけのものも・・・

これが想像を掻き立て、憶測、考察などを及ばせる

ある意味ユニークで恐ろしい(!?)妖怪だ

私は妖怪や幽霊などは見たことないが、なぜか気になり、興味がある

日本人の多くもそうかもしれない




決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様 (講談社文庫 み 36-15) 文庫

妖怪マンガの第一人者・水木しげるの日本妖怪図鑑
本書は、『図説 日本妖怪大全』と『図説 日本妖怪大鑑』をあわせて、再編集し、改題したものです
posted by june at 04:08| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする