2024年12月08日

「なんと東京→大阪間を3(2?)日」「価格は140万円」飛脚

現代のように、車・列車・飛行機などの輸送手段もなければ、テレビやネットなどの情報伝達手段もなかった江戸時代に、「脚」一つで各地に手紙や荷物などを運んでいた飛脚

飛脚とは、通信や輸送を行う運送業のことや、その仕事に従事した人たちの両方を指します

飛脚は一番スピードが早い特別便になると、江戸〜大阪間をわずか2(3?)日で運び、料金はなんと140万円ということもあったとか

また、飛脚は大事な荷物を届けるとともに、地震・津波・火災などの大災害が発生すると、その被害状況をリレーで伝える役目も果たしていたそうです

そんな江戸時代の大切なインフラ・飛脚について解説いたします


江戸幕府の街道整備により急速に発達した飛脚業

飛脚の歴史は古く、古代律令制の時代(7世紀後半頃)からあった交通・通信の制度「駅伝制」がルーツといわれています

その後、鎌倉幕時代には鎌倉を中心に活躍した伝馬(※)による飛脚「鎌倉飛脚」がありましたが「公用」に限られていました

※伝馬:幕府の公用をこなすために宿駅で乗り継ぐ馬

飛脚業が急速に発達したのは、関ヶ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開いた徳川家康が全国の主要街道の整備を始めてからだそうです

各街道に宿駅を設定し、荷物や手紙を運ぶ人や伝馬の用意を義務付けたところ、飛脚問屋と呼ばれる民間の飛脚業が参入し、町民も利用できるようになっていきました

江戸時代の飛脚の種類

江戸時代の飛脚は、いくつか種類がありました。

︎継飛脚(つぎひきゃく)
幕府が設けた公用の飛脚で、「御老中証文」など重要な公文書を運んだ

大名飛脚
参勤交代で江戸に滞在している大名が、国元と連絡するために設けられた

︎町飛脚
民間業者である飛脚問屋が、東海道の三都(江戸・京都・大坂)で開業し、「町飛脚業」を全国展開した

︎米飛脚
年貢の米価を決める大坂堂島米会所周辺の飛脚
堂島米会所での米相場の動向を地方に伝えた

驚異的なスピードで走る継飛脚

走りの速さを誇る飛脚の中でも「継飛脚」はとてつもない速さを誇っていたそうです

継飛脚を利用するのは、老中・京都所司代・大阪城代・駿府城代・勘定奉行ほか、限られた人ばかりでした

運ぶものは、公的書状のほか、各地の名産品など将軍への献上品も運んでいたそうです

そのため、継飛脚に求められたのは何よりも「運ぶ速さ」で、通行にあたって「大名行列を横切っても良い」「東海道屈指の難所・大井川が増水して川留めになっても優先的に渡してもらえる」などの特権が与えられていました

継飛脚のスピードは、驚異的でした
たとえば、

江戸から京都まで500キロの距離を・・・

︎普通便:約90時間(約4日弱)
︎お急ぎ便:約82時間(約3日半)
︎超特急便:約56〜60時間(約2日半)

のスピードで走っていたそうです

もちろん、1人で運ぶのではなく各宿場に継飛脚が待ち構えていて、リレー形式で運んでいました

最速を誇る「仕立飛脚」の料金は3日間で140万円!

現代と同じで、荷物を届けるスピードが早くなるほど、料金も高くなりました

たとえば、最速を誇る「仕立飛脚」という超特急便の中には、江戸と大阪間の約570キロを3日間弱で必ず届けるという「正三日限」便があったのですが、料金は「銀700匁」つまり約140万円もしたそうです

単純に、約570キロを2日間(48時間)で割ると、時速約12キロになります

電動アシスト自転車が時速約12〜17キロほどの速さなので、「ものすごい速さ!」とはいえないかもしれません

けれども、当時は、凸凹の峠道や足元の悪い道路を、草鞋を履いた人間が、真っ暗な夜でも雨降りでも強風でも走り続けるわけです

もちろん、江戸大阪間の各宿場には仲間が待機しリレー形式で運び続けたのですが、それにしても非常にパワフルで健脚だったといえるでしょう

いち早く情報を全国に伝える役目も果たした

飛脚が自慢の脚で運んだのは、文書や荷物だけではありません
たとえば、大きな災害が起きたときは、その被害状況を各地に伝える役目も果たしていました

たとえば、大阪と江戸間を走る飛脚たちは、地震や大津波の被害状況をリレーで伝え、その情報をもとに幕府・大名・商人などが炊き出しの準備や仮設住宅の準備、献金や献米などを行ったそうです

飛脚たちのもたらす貴重な情報を普及させたのが、当時の「かわら版」でした

たとえば、安政江戸地震(安政2年/1855)の際、その被害状況を伝えたかわら版は600種以上も出されたそうです

かわら版というと、現代のネット情報同様、「真偽のほどは全く定かではないが面白ければ数を稼げる」という感覚で下世話で怪しげな情報が多かったとか

けれども、大災害時はその現場に居合わせた飛脚たちの情報を集めて、「人々を安心させるため、落ち着かせるために情報を発信しよう」という社会的な使命感を持ち、情報を伝えた瓦版もいたようです

江戸時代に目覚ましい発達を遂げ大切な文書・荷物・情報を運び続けた飛脚業は、1871年(明治4年)、欧米式の郵便制度の採用にともない、すべて廃止となりました

飛脚問屋は陸運元会社として再組織され、小荷物・現金輸送に従事することとなります

気になる飛脚業に従事していた人たちのその後ですが、郵便局員や人力車の車夫などに転じていったそうです

ちなみに、現代でも多くの人が熱狂する「駅伝」ですが、この競技名は飛脚の前身でもある古代律令制の時代からあった「駅伝制」に由来しているそうです

参考:
『古代から現代までを読み解く 通信の日本史 玉原輝基 (著)』
書評『江戸の飛脚 人と馬による情報通信史』増田廣實
論文「政治情報にみる飛脚の意義」
文 / 桃配伝子 校正 / 草の実堂編集部

(この記事は、草の実堂の記事で作りました)

飛脚は東京―大阪間を2~3日で走ったとか

道路も整備されておらず、昼夜問わず、雨でも風でも雪でも草鞋で「驚異のスピード」で走ったようです

また災害の状況も伝えていたとか

ちなみに現在の駅伝は飛脚の前身が由来だそうです




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posted by june at 12:08| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人間とチンパンジーの違いは「1.2%」!?

0.1%の差でもまったくの別人に

アナタの隣にいる人を見てください
顔立ちはもちろん、身長や体型、声など、何もかもが違いますよね?
では、遺伝子レベルで見比べてみるとどうでしょう
自分と他の誰かでそのゲノム(遺伝情報)の違いはわずか0.1%ほどしかないそうです
人間のゲノムは文字に書き起こすと約30億文字といわれていることから、その0.1%にあたる300万文字ほどで顔のつくり、目や髪の色、背の高さ、体質といった個性がデザインされているというわけです

では、私たち人類にもっとも近い種といわれるチンパンジーはどうかというと、人間とのゲノムの違いはわずか1.2%ほどしかありません
数値的には「ほぼ誤差」のレベルに感じられますが、赤の他人と0.1%しか違わないことを考えれば、かなり大きな差があるともいえそうです
ちなみに同じ基準で他の動植物とも比較してみると、人間と犬では約6%、猫は約10%、バナナとは約40%ほどの違いがあります
もっともこれらの動植物とは進化の過程も違えば、染色体の数も異なるため、ゲノムの違いがわずかといっても、生物としてまったく別物であることに変わりはありません
そう考えると互いのDNAが100%一致する例外中の例外、一卵性双生児のきょうだいはとても神秘的でロマンチックな存在に思えてきますね

わずか数%の違いが種を分けている

身近な動物、植物も遺伝子のシンクロ率はけっこう高い

一卵性双生児はDNAのシンクロ率100%!

DNAのシンクロ率が100%一致する人間も例外的に存在します
それが一卵性双生児です
ひとつの受精卵から分裂して生まれてくるため、基本的に遺伝子情報は100%同じとなります

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 遺伝の話』著:安藤 寿康

(この記事は、ラブすぽの記事で作りました)

赤の他人でも遺伝子レベルでは0.1%しか違わないそうです

人間とチンパンジーでもわずか1.2%!!

数値的には「ほぼ誤差」のレベルに感じられますが、赤の他人と0.1%しか違わないことを考えれば、かなり大きな差があるともいえそうです


眠れなくなるほど面白い 図解 遺伝の話: 環境や努力は遺伝に勝てない!?遺伝のギモンを専門家がすべて解決! 単行本

遺伝子は、その対象者の性格、特徴、どの病気にかかりやすいかなどもわかるといいます
ゲノム解読などの進歩で研究も進んできました
興味はあるけど謎やギモンも多い遺伝の世界
遺伝の差ままざなギモンを図解を駆使しわかりやすく解説
posted by june at 04:44| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする