2024年10月30日

治療や薬もオーダーメイドする時代になった?

遺伝子情報にもとづいて病気を治す

既製品ではなく、自分の体型に合わせた洋服を注文するように、治療や薬をオーダーメイドできる時代になりました
これまでは、ある病気にかかった場合、その病気の薬を処方され、その病気の標準的な治療を受けるしかありませんでした
でも、体質はそれぞれの遺伝子情報などによって影響を受けるので、みんな同じではなく違いがあります
そのために同じ治療をしても、人によって薬の副作用が出たり、効果がないまま治らないこともありました

それがいまは、標準的な治療ではなく、それぞれに合った、オーダーメイドの治療を受けられるものが出てきました
医師は患者の症状だけを診るのでなく、遺伝子情報を調べることによって、病気にいたった遺伝的な原因や体質の傾向を知り、それに合った治療法や薬を割り出します
そのためには、患者の個人情報を得なければならず、また、治療方針を理解し納得してもらうことも必要なので、患者との信頼関係が大事になります

オーダーメイド治療では、遺伝子を解析することによって、まだ発症していない病気のリスクもわかるので、予防ができる可能性があります
患者本人だけでなく、 家族全員の健康チェックにつなげることもでき、病気にかからない生活を楽しむことは夢ではなくなるでしょう

治療や薬がオーダーメイドになったら

病気にかかってなくても遺伝子情報にもとづいて、あらかじめ予防でき、家族みんなの健康ライフにつながる
開発費や医療費の削減も可能に

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 生命科学の話』著:高橋祥子

(この記事は、ラブすぽの記事で作りました)

人には「体質」があり、本来はその人に合った治療法や薬が理想です

しかし、これまでは「最大公約数」であう治療法や薬を提供してきました

しかし、科学の進歩でその人の遺伝情報などがわかるようになり、その人本人にあったオーダーメイドの治療法や薬が提供できるように・・・

また遺伝情報を調べ、予防もできるように・・・

そもそも病気にならないための予防は重要です

患者本人だけでなく、家族の遺伝情報なども知れば家族全員の予防にもつながります



眠れなくなるほど面白い 図解 生命科学の話: 健康・寿命・医療の今と未来がわかる!最先端のテクノロジーを専門家がすべて解説! 単行本

21世紀は生命科学の時代といわれるほどの最先端の学問
その注目の生命科学を図解でわかりやすく解説
posted by june at 12:33| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NY株は反落、日経平均株価は続伸

29日(現地時間)のNY株(ダウ平均株価)は、反落し、終値は前日比154ドル52セント安の4万2233ドル05セント

ハイテク株中心のナスダックは145.56ポイント高の1万8712.75と史上最高値を更新

S&P500は9.40ポイント高の5832.92



29日(日本時間)の日経平均株価は続伸し、終値は前日比298円15銭高の3万8903円68銭


(この記事は、ネットニュースの記事で作りました)
posted by june at 06:38| Comment(0) | 株価動向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【全員裸だった】古代オリンピック 〜近代オリンピックとかけ離れた驚異の実体とは

古代オリンピックとは、ギリシャ神話の最高神であるゼウスに捧げるスポーツ祭典である

地中海に面するギリシアのペロポネソス半島の西、エリス地方の山間部にあるオリンピアで行われた。

断片的な史料しかなく、謎の多い古代オリンピックであるが、いくつかの文献から当時の様子が見て取れる

そこには近代オリンピックとはかけ離れた、驚異の実体が描かれている

起源と時代背景

古代オリンピックの記念すべき第1回目が行われたのは、紀元前776年の古代ギリシアである

一説には、ゼウス神殿のあるオリンピアを支配したエリスの王が、隣国と休戦協定を結んだことをきっかけに開催したとされている

当時のギリシアに統一国家はなく、小さな都市国家(ポリス)が乱立して争いが続いていた
しかしギリシア人は、共通の宗教や言語を持ち、自分たちは同じ民族だという意識を持っていたという

そこでギリシア人たちは、最高神ゼウスに捧げる競技祭を4年に1度開催し、期間中の休戦を約束した
つまり古代オリンピックは、ギリシア人のための宗教儀式だったのだ

初期の開催期間は1日のみであったが、のちに参加者や競技数の増加に伴って5日間開催となった
休戦期間は初期は1ヵ月ほど、後期になると3ヵ月近くにも及んだ

古代と近代のオリンピックの違いは、この宗教的要素が大きいだろう。
近代オリンピックは異なる宗教、言語を持つさまざまな民族が参加している。

一方で、「平和のスポーツ祭典」という側面には、今も昔も大きな違いはないようだ。

選手と観客

古代ギリシアの壺には、全裸でスポーツをする男性が描かれている
競技参加者は全員男性で、裸にオリーヴの油を塗ってトレーニングや競技をおこなっていたようだ

裸は選手だけでなく、コーチにも義務付けられていたという
それは紀元前4世紀頃に、女性が変装して競技場に入ったためである

というのも、古代オリンピックにおいては、女性は競技への参加は禁止されており、見物も制限されていた

当時のギリシアでは女性の地位は低く、社会的な集まりや公的な行事にはほとんど参加できなかった
オリンピックに参加しようとした女性は、崖から突き落とすという掟まであったとされる

未婚女性は見物のみ許されていたという説もあるが、果たして、このような状況で未婚女性の観客が何人いたのだろうか

観客についての詳しい様子は不明だが、未婚女性がリスクを抱えてまで大勢参加したとは想像しにくい。

競技種目

第1回古代オリンピックの競技種目は、1スタディオン(約192メートル)の直線を走る短距離走のみであった
スタディオンとは古代ギリシアの距離の単位であり、現代の「スタジアム」の語源でもある

その後、競技種目は次第に増え、約400メートルを走る往復走「ディアウロス」や、12往復する長距離走「ドリコス」、重装歩兵の装備を身につけて走る「ホプリタイ」(武装競走)が追加された
また、五種競技(幅跳び、円盤投げ、短距離走、やり投げ、レスリング)、戦車競走、競馬なども行われるようになった

前述したように、古代オリンピックにおいて女性の参加は基本的に禁止されていたが、別の祭典である「ヘーライア祭」では未婚女性による短距離走が行われていた
しかし、これはオリンピックとは別の競技祭であった

中でも特に人気があったのが、レスリングとボクシングを組み合わせた総合格闘技「パンクラチオン」である
この競技には厳密なルールがほとんどなく、殴る、蹴る、押さえ込むなど、ほぼ何でも許されていた
試合はどちらかが右手の人差し指を立てて降参の意思を示すまで続けられた

禁じ手は、噛み付くことと、目や鼻、口や耳など、身体の穴の空いた部分に指を突っ込むことだけであった
むき出しの下腹部への攻撃も認められていたというのだから凄まじい

しかも驚くことに、当時の格闘技は体重別ではなかったという

ギリシア人は肥満を醜悪なものとして軽蔑していたので、極端に太った人は少なかっただろう
とは言っても、体格には個人差があるものだ

身体の大きい人が有利であるのは明確で、次第にどちらが勝つかが一目瞭然となり、魅力を失っていったようである

勝者と敗者の未来

優勝者への公式な贈与品は、ゼウス神殿の聖なるオリーヴで作られた葉冠だけであった

しかし、故郷に帰った優勝者には、ポリスから多くの特典が与えられることがあった
盛大な凱旋式が行われ、名誉を称えられるだけでなく、報奨金や年金の贈与、免税、高い地位を得て出世した例もある

このように、オリンピックでの勝利は単なる栄光にとどまらず、人生の転機となり得るものであり、経済的にも社会的にも大いに報われた

一方で、輝かしい勝者とは対照的に、敗者の未来は陰鬱で残酷であった。

古代オリンピックでは「優勝者」だけが重視され、二位以下の選手は表彰されることはなかった。過酷なトレーニングや試合での努力が讃えられることもなく、敗者は屈辱を感じながらオリンピアをひそかに抜け出し、こっそりと故郷に戻った。

敗者の中には、挫折感から鬱状態に陥り、心の病を患う者も多かったという

変遷と終焉

競技祭が大規模化するにつれて、オリンピックの宗教的な要素は次第に薄れ、娯楽性が強まっていった

人々はポリスの名誉や個人の名声を求め、勝利に対する執着が強くなった
出場者は後援者からの報酬で生活するプロ選手が増え、競技そのものが名誉や利益を追求する場と化していったのだ

やがて勝敗に関して金銭のやり取りが行われるようになり、審判の不正や八百長が横行するようになる
大会は次第に財力や社会的地位を誇示する場となり、運営も権力者の意向に左右されるようになってしまった

紀元前4世紀には、ギリシアはマケドニアに制圧され、さらに紀元前2世紀にはローマの支配下に置かれることとなるが、オリンピックはギリシア人によって続行された

この頃には、ギリシア人だけでなく、「バルバロイ」と呼ばれる異民族も競技に参加するようになった

そして392年、ローマ皇帝テオドシウス1世がキリスト教を国教とし、異教の宗教儀式を禁止したため、ゼウスに捧げられるオリンピックも禁止された

最後の古代オリンピックは、393年に開催された第293回大会とされている

参考文献
『オリンピア』著/村川堅太郎
『驚異の古代オリンピック』著/トニー・ペロテット
『これならわかるオリンピックの歴史Q&A』著/石出法太・石出みどり
文 / 小森涼子 校正 / 草の実堂編集部

(この記事は、草の実堂の記事で作りました)

紀元前776年に始まり、393年まで続いた古代オリンピックは私たちの知る近代オリンピックとはかけ離れたものだった

近代オリンピックのスポーツの祭典というよりギリシャ神話の最高神であるゼウスに捧げる宗教儀式
(スポーツの祭典でもある)

参加者・審判は全員が全裸で参加者は男性のみ
(未婚女性は観戦出来たとの説も)

やがて勝利至上主義とあり、プロも増え、不正や八百長も・・・・

権力者の意向にも左右されるように・・・

ローマの支配下となったギリシア

392年、ローマ皇帝テオドシウス1世がキリスト教を国教とし、異教の宗教儀式を禁止したため、ゼウスに捧げられるオリンピックも禁止された

最後の古代オリンピックは、393年に開催された第293回大会とされている

ところで人気競技に総合格闘技「パンクラチオン」があったが、この競技には厳密なルールがほとんどなく、殴る、蹴る、押さえ込むなど、ほぼ何でも許されていた
試合はどちらかが右手の人差し指を立てて降参の意思を示すまで続けられた

禁じ手は、噛み付くことと、目や鼻、口や耳など、身体の穴の空いた部分に指を突っ込むことだけであった
むき出しの下腹部への攻撃も認められていたというのだから凄まじい

しかも驚くことに、当時の格闘技は体重別ではなかったという

ギリシア人は肥満を醜悪なものとして軽蔑していたので、極端に太った人は少なかっただろう
とは言っても、体格には個人差があるものだ

身体の大きい人が有利であるのは明確で、次第にどちらが勝つかが一目瞭然となり、魅力を失っていったようである




驚異の古代オリンピック 単行本

古代オリンピックは私たちのよく知る近代オリンピックからかけ離れていた
古代オリンピックのリアルを紹介
posted by june at 04:38| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする