男性30代、女性40代から機能が低下
自律神経の乱れを引き起こすのは、ストレスや不規則な生活習慣ばかりではありません
加齢も自律神経の働きに大きく影響すると考えられています
10~20代の若い頃は副交感神経の働きが高いため、多少の無理や夜更かしをしても、ひと晩休めば疲れをリセットすることができます
ところが我々のデータでは男性では30代、女性では40代くらいになる頃から急激に副交感神経の働きが衰え始め、交感神経優位の状態に偏りがちになっていきます。交感神経が優位になると血流が悪くなり、全身の機能が低下してしまう
男性では大体30代半ば頃から神経や筋肉に十分な栄養が供給されにくくなり、体力や筋力の衰えが目立ち始めます
事実、男性トップアスリートの引退も、この年代の前後に集中
副交感神経の衰えが身体機能に影響を及ぼしていることは明らかです
女性では40代以降、心身に様々な不調を感じやすくなります
のぼせやめまい、動悸やイライラといった更年期特有の症状は、この時期にホルモンバランスが大きく変化することにより起こると考えられています
集中力や判断力が衰えたり、休んでも疲れがとれなかったりといった加齢による不調には、自律神経が大きく関わっています
年齢を重ねれば自律神経の乱れは必ず起こるものと考えて、早めに対策をとっておくことが必要です
出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 自律神経の話』 著:小林弘幸
(この記事は、ラブすぽの記事で作りました)
年を重ねると不調が続くようになるのは、ありてイに言えば「老化」で、誰にでも起こること
下記の書籍を熟読し、対策に
眠れなくなるほど面白い 図解 自律神経の話: 自律神経のギモンを専門医がすべて解説! 単行本
原因の分かりにくい疲れは自律神経の乱れに問題があることも・・・
自律神経とは何か?対処法は?乱れの整え方、症状の改善などを解説
2024年10月20日
江戸の人気絵師・葛飾北斎が認めた女流絵師の正体とは?
近年、注目を集めている浮世絵師がいる
それが葛飾北斎の娘葛飾応為(おうい)だ
北斎の研究家たちが、父の陰に隠れていた応為を評価し始めた
■才能を開花させて父・葛飾北斎が称賛する絵師に成長
浮世絵師というとどんな人物を思い浮かべるだろうか
その中の1人にはいるのが葛飾北斎だろう
北斎には4人の娘がいたが、このうちの1人が、女流浮世絵師として名を残した最初の1人だといわれている葛飾応為だ
本名を栄(えい)というが、彼女は生年の記録が残っていない
応為は北斎の2人目の妻から生まれた子で、2男4女の3女として生まれたことはわかっている
そのほか応為に会ったという人の証言などから北斎が37歳くらいの子だったのではないかとされている
となると寛政8年(1799)頃に生まれたようだ
子供の頃から父親の書きそんじを手本にして絵を描いていたといい、わずか14歳の時に『狂歌国尽』という本の中にカットを描いて商業でデビューした
彼女の才能に気が付いた北斎は、娘に真剣に絵を教えようとしたのだろうか、『略画早指南』という絵の手引書を著した
これを見れば北斎が描く絵の極意がわかるようになっている
身内に物を教えることは時には取返しのつかないけんかに発展することがある
栄は男勝りな性格だったというから、北斎は衝突を避けようとしたのかもしれない
そのおかげか「美人画は俺よりもうまい」と北斎に言わしめるほどの腕前となった
絵師として英才教育を受けた栄だったが、浮世絵師の南沢等明と結婚し、表立って絵を描くことをやめた
しかし、絵師としての教育は受けたもの、当時の女性ができなければならないとされた炊事、洗濯、針仕事の教育は受けなかったのかまったくしなかった
不器用だからという訳ではなく、内職で作っていた豆人形は評判が良かったという
こうして稼いだ金はすべて酒、たばこなど自分のために使ってしまい、その上夫の作品を酷評した
北斎の絵を毎日見ていれば大抵の絵はへたに見えてしまうだろう
早々に離縁されてしまった
離縁後は北斎と同居した
この後、北斎が彼女を「おーい」と呼んだことから「応為」という画号を使うようなったという。娘が父親と同居するといえば、炊事、洗濯、掃除など北斎の生活面をサポートように思われるかもしれないが、家事をしないことを理由に離縁されているだけあって炊事はしないどころから使った食器すら洗わない、掃除もしないのでゴミがたまって居場所がなくなるほどになると引っ越すという生活だったという
そのため北斎は90回以上も転移したのだそうだ
家事一切をしない代わりに応為は、父のそばでひたすら絵を描き続けた
その割には応為のものと認定されている作品があまりにも少ない
その一方で北斎は老いても精力的に作品を発表し続けた
普通の人ならば年をとれば気力が落ちるし、目もよく見えなくなるため作品数が減って当然なのだが、70歳を過ぎて刷り物から肉筆画へと移行した北斎は精力的に作品を発表している
一点ものの肉筆画は、刷り物以上に集中力と実力が問われる
70歳を過ぎた絵師にはなかなか厳しい作業である
しかし、それを可能にするからくりがあった
北斎の下書きを応為が彩色し仕上げていたというのだ
これは、晩年になって北斎の色使いが替わったことや、応為の作品の特徴である女性の髪や指、着物などの細かい描写などがみられるため、近年専門家が唱え始めた説である
では、なぜそんなことをしたかといえば、金が必要だったからだ
北斎は当時もっとも画料の高い絵師の1人だった
絵以外には興味がない
同居する応為も父とは違い酒とたばこを嗜むが、絵を描いているか、占いをしているかというおよそ金のかかることとは縁がない生活を送っている
肉筆画に使う平絹や絵具などの画材は非常に高価で北斎はそれを惜しげもなく使ったということもあるが、実は応為の姉の息子が、北斎をして「悪魔」とまで言わしめるほどのとんでもないやつだったのだ
あちらこちらに北斎の名前を語って借金をするなどし、その後始末を北斎がしなければならなかったのだ
いくら勘当した、縁を切ったといっても借金取りが押し掛ける
実は30回も画号を替えたのも引っ越を繰り返したのも、借金取りから逃れようとしたからだという説もあるほどだ
いくら美人画が上手でも応為の名前では、高く売ることができない
そのため、高く売れる北斎の名前を使う父娘合作という手法がとられたのだろう
80代になっても精力的に活動していた北斎であったが、90歳で亡くなった
父亡き後、応為は裕福な家庭の娘などに絵を教えていたという
情に厚い性格だったそうだから、親身になって指導に当たったのだろうか評判が良かったという
また、手紙で見本の絵を送って指導する通信教育も手がけていた
最期は諸説あるが、安政4年(1857)頃、戸塚の文蔵という人に請われて筆を持って出かけた後、消息を絶った
これが本当ならば応為は出かけた先でどんな絵を描いたのだろうか
北斎が絶賛したという美人画だったかもしれない
(この記事は、歴史人の記事で作りました)
葛飾北斎といえば世界的評価の天才(浮世)絵師だ
北斎には娘(栄、応為と号す)がいて、父の才能を受け継ぎ、絵は北斎に認められるほどで、美人画は北斎が「俺より上手い」というほどだったという
応為は結婚、その後離縁後、父・北斎と同居
晩年の北斎の作品は北斎の下書きに応為が彩色したとの説も・・・
結婚時には浮世絵師の夫の作品を酷評(天才・北斎の絵を見てきたので)
父・北斎とは違い、酒もたばこもしたが、絵以外に興味がなかったのは父と同じ
家事も一切しなかったという
男勝りの性格、絵に集中したところは父譲り
ところで江戸の人気絵師だった北斎でしたが、お金が必要なわけも・・・
応為の姉の息子が、北斎をして「悪魔」とまで言わしめるほどのとんでもないやつだったのだ
あちらこちらに北斎の名前を語って借金をするなどし、その後始末を北斎がしなければならなかったのだ
いくら勘当した、縁を切ったといっても借金取りが押し掛ける
実は30回も画号を替えたのも引っ越を繰り返したのも、借金取りから逃れようとしたからだという説もあるほどだ
応為については宮崎蒼井さんが演じたテレビドラマをみたことがあります
北斎になりすました女 葛飾応為伝 単行本
天才・葛飾北斎の陰に隠れた葛飾応為
北斎の娘、三女で北斎の画業を支えた共作者とも
「美人画を描かせたら俺(北斎)より上手い」と言わしめた、もう一人の天才
近年注目の葛飾応為を追う
それが葛飾北斎の娘葛飾応為(おうい)だ
北斎の研究家たちが、父の陰に隠れていた応為を評価し始めた
■才能を開花させて父・葛飾北斎が称賛する絵師に成長
浮世絵師というとどんな人物を思い浮かべるだろうか
その中の1人にはいるのが葛飾北斎だろう
北斎には4人の娘がいたが、このうちの1人が、女流浮世絵師として名を残した最初の1人だといわれている葛飾応為だ
本名を栄(えい)というが、彼女は生年の記録が残っていない
応為は北斎の2人目の妻から生まれた子で、2男4女の3女として生まれたことはわかっている
そのほか応為に会ったという人の証言などから北斎が37歳くらいの子だったのではないかとされている
となると寛政8年(1799)頃に生まれたようだ
子供の頃から父親の書きそんじを手本にして絵を描いていたといい、わずか14歳の時に『狂歌国尽』という本の中にカットを描いて商業でデビューした
彼女の才能に気が付いた北斎は、娘に真剣に絵を教えようとしたのだろうか、『略画早指南』という絵の手引書を著した
これを見れば北斎が描く絵の極意がわかるようになっている
身内に物を教えることは時には取返しのつかないけんかに発展することがある
栄は男勝りな性格だったというから、北斎は衝突を避けようとしたのかもしれない
そのおかげか「美人画は俺よりもうまい」と北斎に言わしめるほどの腕前となった
絵師として英才教育を受けた栄だったが、浮世絵師の南沢等明と結婚し、表立って絵を描くことをやめた
しかし、絵師としての教育は受けたもの、当時の女性ができなければならないとされた炊事、洗濯、針仕事の教育は受けなかったのかまったくしなかった
不器用だからという訳ではなく、内職で作っていた豆人形は評判が良かったという
こうして稼いだ金はすべて酒、たばこなど自分のために使ってしまい、その上夫の作品を酷評した
北斎の絵を毎日見ていれば大抵の絵はへたに見えてしまうだろう
早々に離縁されてしまった
離縁後は北斎と同居した
この後、北斎が彼女を「おーい」と呼んだことから「応為」という画号を使うようなったという。娘が父親と同居するといえば、炊事、洗濯、掃除など北斎の生活面をサポートように思われるかもしれないが、家事をしないことを理由に離縁されているだけあって炊事はしないどころから使った食器すら洗わない、掃除もしないのでゴミがたまって居場所がなくなるほどになると引っ越すという生活だったという
そのため北斎は90回以上も転移したのだそうだ
家事一切をしない代わりに応為は、父のそばでひたすら絵を描き続けた
その割には応為のものと認定されている作品があまりにも少ない
その一方で北斎は老いても精力的に作品を発表し続けた
普通の人ならば年をとれば気力が落ちるし、目もよく見えなくなるため作品数が減って当然なのだが、70歳を過ぎて刷り物から肉筆画へと移行した北斎は精力的に作品を発表している
一点ものの肉筆画は、刷り物以上に集中力と実力が問われる
70歳を過ぎた絵師にはなかなか厳しい作業である
しかし、それを可能にするからくりがあった
北斎の下書きを応為が彩色し仕上げていたというのだ
これは、晩年になって北斎の色使いが替わったことや、応為の作品の特徴である女性の髪や指、着物などの細かい描写などがみられるため、近年専門家が唱え始めた説である
では、なぜそんなことをしたかといえば、金が必要だったからだ
北斎は当時もっとも画料の高い絵師の1人だった
絵以外には興味がない
同居する応為も父とは違い酒とたばこを嗜むが、絵を描いているか、占いをしているかというおよそ金のかかることとは縁がない生活を送っている
肉筆画に使う平絹や絵具などの画材は非常に高価で北斎はそれを惜しげもなく使ったということもあるが、実は応為の姉の息子が、北斎をして「悪魔」とまで言わしめるほどのとんでもないやつだったのだ
あちらこちらに北斎の名前を語って借金をするなどし、その後始末を北斎がしなければならなかったのだ
いくら勘当した、縁を切ったといっても借金取りが押し掛ける
実は30回も画号を替えたのも引っ越を繰り返したのも、借金取りから逃れようとしたからだという説もあるほどだ
いくら美人画が上手でも応為の名前では、高く売ることができない
そのため、高く売れる北斎の名前を使う父娘合作という手法がとられたのだろう
80代になっても精力的に活動していた北斎であったが、90歳で亡くなった
父亡き後、応為は裕福な家庭の娘などに絵を教えていたという
情に厚い性格だったそうだから、親身になって指導に当たったのだろうか評判が良かったという
また、手紙で見本の絵を送って指導する通信教育も手がけていた
最期は諸説あるが、安政4年(1857)頃、戸塚の文蔵という人に請われて筆を持って出かけた後、消息を絶った
これが本当ならば応為は出かけた先でどんな絵を描いたのだろうか
北斎が絶賛したという美人画だったかもしれない
(この記事は、歴史人の記事で作りました)
葛飾北斎といえば世界的評価の天才(浮世)絵師だ
北斎には娘(栄、応為と号す)がいて、父の才能を受け継ぎ、絵は北斎に認められるほどで、美人画は北斎が「俺より上手い」というほどだったという
応為は結婚、その後離縁後、父・北斎と同居
晩年の北斎の作品は北斎の下書きに応為が彩色したとの説も・・・
結婚時には浮世絵師の夫の作品を酷評(天才・北斎の絵を見てきたので)
父・北斎とは違い、酒もたばこもしたが、絵以外に興味がなかったのは父と同じ
家事も一切しなかったという
男勝りの性格、絵に集中したところは父譲り
ところで江戸の人気絵師だった北斎でしたが、お金が必要なわけも・・・
応為の姉の息子が、北斎をして「悪魔」とまで言わしめるほどのとんでもないやつだったのだ
あちらこちらに北斎の名前を語って借金をするなどし、その後始末を北斎がしなければならなかったのだ
いくら勘当した、縁を切ったといっても借金取りが押し掛ける
実は30回も画号を替えたのも引っ越を繰り返したのも、借金取りから逃れようとしたからだという説もあるほどだ
応為については宮崎蒼井さんが演じたテレビドラマをみたことがあります
北斎になりすました女 葛飾応為伝 単行本
天才・葛飾北斎の陰に隠れた葛飾応為
北斎の娘、三女で北斎の画業を支えた共作者とも
「美人画を描かせたら俺(北斎)より上手い」と言わしめた、もう一人の天才
近年注目の葛飾応為を追う