2024年10月08日

大谷翔平もスゴイが、やはり「長嶋茂雄」は衝撃だった

(広尾晃:ライター)

■ 高校時代は無名の選手

長嶋茂雄は1936年2月20日に現在の千葉県佐倉市で生まれた
長嶋が生まれる15日前の2月5日にNPBの前身である日本職業野球連盟が結成されている
長嶋はまさにプロ野球の申し子と言っても良い

臼井町立臼井小学校時代の長嶋は、身体は小さかったが非常に足が速く、鬼ごっこをしていた同級生が絶対につかまえられないのでみんなが白けてやめてしまったという話が残っている
当時から草野球に夢中で「鶴岡(一人、南海の名三塁手)みたいになるんだ」が口癖だったという

勉強は優秀で、千葉県では屈指の進学校だった佐倉一高(現佐倉高)に進む
野球部に入ったが、佐倉一高は今に至るも一度も甲子園には出場していない
またプロに進んだのも長嶋茂雄と巨人の投手だった山岡勝の二人だけだ

高校時代は主として遊撃手だった
長嶋が3年生の1953年には佐倉一高は夏の南関東大会で準々決勝まで進んだが、8月1日、埼玉県の大宮公園球場で埼玉の熊谷高に1-4で敗退している。しかしこの試合で佐倉一高が挙げた1点は、長嶋茂雄がセンターバックスクリーン横に打ったホームランだった
飛距離107mとされるこの当たりが、長嶋が高校時代に打った唯一のホームランだった

この年9月下旬、巨人のスカウトの若林俊治は、二軍監督の谷口五郎とともに佐倉一高に出向き、長嶋茂雄を見ている
打球の7割近くが右中間に飛んでいた
若林は「左翼にあった校舎に当てないためかな」と思ったが、とにかく打撃センスは抜群だった
すでにこの年に巨人は長嶋を認識していた

■ 立教時代に大ブレーク

とはいえ高校時代は全く無名だった長嶋だが、セレクションを経て立教大学に入学するとたちまち頭角を現す
1年の春から試合に出ていたが、2年生の秋に打率.343で3位、初本塁打も打ち、3年の春は2本塁打、8打点、打率.459で三冠王に
以後も毎季ホームランを打ち、4年の春には優勝
そして4年秋のリーグ戦最終戦の11月3日、東京六大学記録となる通算8本塁打を打つ

当時の東京六大学は、単に大学野球の頂点というだけでなく、社会人野球の都市対抗、プロ野球と肩を並べる「日本野球のトップリーグ」という評価があった

その六大学で最大のスターになった長嶋茂雄が、どの球団に入団するかは、日本中の野球ファンの最大の関心事となった

長嶋茂雄は大学時代に、大阪タイガースの名三塁手、藤村富美男のプレーを見て三塁手に転向した
また大学時代には、立教大学の先輩で、南海ホークス外野手の大沢昌芳(のち大沢啓二、大沢親分)の紹介で、憧れの存在だった南海の鶴岡一人監督とも会っている

「立教のエースだった杉浦忠とともに、長嶋茂雄は南海に行くだろう」

というのが大方の見方ではあった
もし本当にそうなっていれば、プロ野球の勢力図は今とは大きく変わっていたはずだ

しかし長嶋茂雄は、4年秋のリーグ戦を終えてから翻意し、巨人に入団する
この時期、新聞各社は「巨人か、南海か」を探ろうと長嶋を血眼になって探した
長嶋は大学野球部の先輩でもある新聞記者によってかくまわれ、巨人と契約した

新記録の8号ホームランを打ってからわずか3日後の11月6日の朝刊で「杉浦、南海入り表明、長嶋は巨人を希望」という五段抜きの大見出しが踊った

長嶋は南海の鶴岡監督に詫びを入れた
こうして長嶋茂雄の巨人入りが決まった

■ 1年目で本塁打王と打点王

今の感覚では理解できないが、この時点で長嶋茂雄は、すでに日本で最も人気のあるスポーツ選手の一人だった
甲子園で活躍して西武に入った松坂大輔などアマチュア時代から注目を集めた選手は以後も出ているが、長嶋はそのレベルではなく、すでにスーパースターだったといってよい
入団したばかりで横綱若乃花、大女優の山本富士子と座談会をしている

西鉄ライオンズの名監督だった三原脩は、当時、後楽園球場の株を所有していたが、長嶋がデビューしてから株価が急上昇したという
後楽園で長嶋を一目見たいと思うファンが、株主優待の入場券に期待して株を買ったからだといわれている

満を持してのプロデビューだったが、新人の1958年の成績は空前絶後と言ってよかった

本塁打王と打点王の二冠に加え、打率.305で2位
もう少しで「三冠王」だった

この年、長嶋は37盗塁を記録したが、本塁打は29本だった
もしあと1本本塁打を打っていたら「新人でトリプルスリー」だった
実は長嶋はこの年9月19日の広島戦でさく越えの1発を打っていたが、一塁ベースを踏み忘れ、広島野手のアピールで本塁打が取り消しになっていた
この一発があれば、この大記録も達成していた

長嶋人気は沸騰した
おそらく、今の大谷翔平に匹敵するレベルだっただろう

■ プロ2年目にして、あの天覧時代のサヨナラホームラン

 実は長嶋がデビューした1958年は「運命の年」と言ってもよかった

 宮内庁はこの年11月27日、皇室会議が日清製粉社長正田英三郎の長女・美智子を皇太子妃に迎えることを可決したと発表した
皇太子とは今の上皇だ

「結婚の儀」は翌1959年4月10日と発表され、皇居から渋谷の東宮御所まで「ご成婚パレード」を行うとした
このパレードはテレビ中継されることとなる

このニュースを聞いた日本国民は、テレビ受像機を続々と購入、1955年に16.6万だったNHKとのテレビ受信契約台数は19591年には200万を突破する

皇太子妃美智子妃殿下にちなんで「ミッチー・ブーム」と名付けられた社会現象で、日本人の生活習慣は一変し、茶の間の中心にはテレビが鎮座することとなったが、このテレビの向こう側で「巨人、長嶋茂雄」の大活躍が始まったのだ

皇太子ご成婚の熱気冷めやらぬ1959年6月25日、史上初の天覧試合が行われ、長嶋茂雄が阪神、村山実から劇的なサヨナラホームランを打った
この模様は、NHKだけでなく日本テレビ、ラジオ東京、ラジオ関東、日本短波放送でも中継された
国民の皇室への親近感はかつてなく高まっていたが、それとオーバーラップする形で長嶋茂雄の躍動する姿が全国に映像となって伝えられた

プロ野球はこの瞬間に、日本の「ナショナルパスタイム(国民的娯楽)になったといってよい

■ プロ野球を「日本球界の最高峰」に、巨人を「球界の盟主」に押し上げた男

そして長嶋茂雄の劇的な活躍は、当時の「野球界の勢力図」も書き換えていく

一つは、この時期まで並び立つ存在とされた「大学野球」「都市対抗」「プロ野球」の中で、プロ野球が「日本のトップリーグ」として認識されるようになった
それ以前の野球雑誌では「大学野球、プロ野球もし戦わば」のような記事が何度も出ていた
当時は「大学野球の方が強い」と本気で考えるファンがたくさんいたのだ

しかし長嶋茂雄の登場で、プロ野球は一気にメジャーな存在になった
新聞の「運動欄」で、プロ野球の記事の面積が大学野球や都市対抗を大きく上回るようになる

さらに、巨人、セントラル・リーグが、パシフィック・リーグに「絶対的な優位」となる
長嶋茂雄がプロ入りに際して「巨人か南海か」で逡巡したのは、当時の読売ジャイアンツと南海ホークスにそれほどの差がなかったことを意味している

この時期のラジオ、テレビの番組欄を見ると7時台のゴールデンタイムでは、日本テレビが「巨人戦」を中心に放映したのに対し、NHKや他の民放は他のチームの試合中継をしていた
「巨人ー阪神戦」と「南海ー西鉄戦」は、ともに「黄金カード」だった

しかし1959年以降、テレビでの野球中継は「巨人戦」が中心になっていく
巨人の人気が他球団を圧倒していくのだ
その中心に長嶋茂雄がいたのは言うまでもない

この時代から、子供たちは夜になると、父親とともにテレビの前に座り「巨人戦」のナイターをワクワクして見入るようになる。

長嶋茂雄の1年遅れで、早稲田実から春の甲子園の優勝投手だった王貞治が入団する
プロでは一塁手となった王は、当初は「王、王、三振王」と揶揄される荒っぽい打者だったが1962年に荒川博打撃コーチとともに編み出した「一本足打法」でブレーク、長嶋茂雄とともに「ON砲」を形成した

後年のファンから見れば、ON砲、長嶋茂雄と王貞治は「2人のヒーロー」というイメージだが、1960年代初頭の野球ファンにとっては長嶋茂雄こそが「絶対的なスター」であり、5学年下の王貞治は「長嶋の後を追いかけてきた若手」にすぎなかった

■ ミスタージャイアンツ

この時期、雨後の筍のように出てきた「少年雑誌」「漫画雑誌」でも、長嶋茂雄はヒーローだった
各誌は競って長嶋茂雄を表紙に掲げた
また長嶋をモデルにした漫画も数多くつくられた
中には長嶋茂雄がバットで宇宙人を撃退するという荒唐無稽なものまであった

1966年「週刊少年マガジン」で連載が始まった「巨人の星」は、そうした少年野球漫画とは一線を画する内容で、巨人軍元選手の子として生まれた星飛雄馬が、高校を経てプロ野球に入り、ライバルたちと死闘を繰り広げる迫真のストーリーだった
川上哲治金田正一、長嶋茂雄、王貞治など実在の人物が登場し、星を叱咤激励した

1968年「巨人の星」が日本テレビ系列でアニメ化されると日本中の少年が夢中になった
星飛雄馬は長嶋茂雄など実在の野球選手とともに、野球少年たちのヒーローになった

川上哲治監督率いる読売ジャイアンツは空前の「V9(9連覇)」を果たす
これによって「巨人一強」は、確固たるものになる

長嶋茂雄は、成績では王貞治にかなわなくなるが、「ミスタージャイアンツ」さらには「ミスター」と呼ばれるようになる
絶対的な存在になっていた

1974年、長嶋茂雄は17年の現役生活にピリオドを打ったが、長嶋茂雄が巨人に入団した時と、引退時では「プロ野球の景色」は一変していた
極端に言えば長嶋茂雄という一個の存在が、日本の野球シーン、さらには庶民文化を一変させたといってよい

大谷翔平が50-50を達成して日本中が沸いているが、日本野球をここまでメジャーな存在に押し上げた長嶋茂雄に、今一度思いを致すべきかもしれない

(この記事は、JB pressの記事で作りました)

大谷翔平の活躍は凄い

シーズン50(本塁打)-50(盗塁)なんて「空前絶後」かも・・・

今季は今のところ打者専念だが、来季は投打二刀流が見られるかも・・・
(ポストシーズンで投打二刀流が見られる可能性も)

しかも野球最高峰の大リーグで・・・

日本のプロ野球を変えたのは長嶋茂雄だが、大谷翔平は大リーグで前人未踏の歴史を作っている

長嶋茂雄と大谷翔平・・・

2人とも野球を変えたレジェンドだ



野球翔年II MLB編2018-2024 大谷翔平 ロングインタビュー 単行本

我々の想像・期待のさらに上をいく大谷翔平のインタビューをまとめました
今や大リーガーすら憧れる大谷翔平の考え方・思いが垣間見える
posted by june at 12:39| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天体が球形になる条件とは?太陽や月、地球が丸い理由

地球上で起きていること、どれだけ知っている?

この地球で当たり前に感じていることでも、うまく説明できないことがありますよね
例えば、「青い空が夕暮れに赤く染まるのはなぜ?」「台風が日本列島めがけてやってくる理由は?」

そんな地球に生きる私たちが知っておくべき「理系雑学」をご紹介します
太陽系を含む地球の歴史をはじめ、地球上で成立した大自然や気候、動植物、資源など、地球をめぐる大疑問にスッキリ回答!
あらためて考えると、私たちはこの地球にまつわるさまざまなことを、じつはほとんど知らないのかもしれないかもしれません

※本記事は雑学総研著の書籍『人類なら知っておきたい 地球の雑学』から一部抜粋・編集しました

なぜ?天体がどれも球形の理由

地球はもちろん、太陽や月などの天体は「球形」をしている
それに対して、小惑星探査機「はやぶさ」が着陸したことで知られる「イトカワ」は、枝豆のような不規則な形をしている

この「イトカワ」だけでなく、火星や土星の衛星などにも、球形ではないものが数多くあるが、これらの天体に共通しているのが「小さい」ということである

そもそも天体は、宇宙空間にあるガスやチリなどの物質が寄り集まってできたと考えられている
そして、物質は集まることで重力を持ち、その中心に向かって引っ張ろうとする力も次第に強くなっていく

小さい天体の場合、物質自体の強度よりもその重力が小さいことから、もともとの形状を保ち続ける
ところが、物質がある大きさを超えた時点で、その状態に変化が起こる

物質の中心に向けてはたらく重力の大きさが、物質自体の強度を上まわるようになると、表面にあったでこぼこや不規則な形状などが、崩れたり押しつぶされたりする
その結果、天体の表面が、その中心からすべて等しい距離にある自然な形、つまり「球形」に落ち着くのだ

天体が球形になるかならないかの境目は、内部を構成している物質によっても変わってくるが、おおむね直径300キロメートルと考えられているは

ただし、地球は完全に丸いわけではない。地球の半径は、赤道まわりで測ると6380キロメートル、極まわりで測ると6360キロメートルと、わずかに横にふくらんだ形をしている
もっと極端なのは木星で、望遠鏡で見ても、赤道方向にふくらんでいることがよくわかる
じつは天体の自転によって発生した遠心力の影響で、ほとんどの天体は球の形が少し横に広がっているという

著=雑学総研/『人類なら知っておきたい 地球の雑学』

(この記事は、レタスクラブの記事で作りました)

ほとんどの天体は球状ですね、なぜでしょう?

これは・・・

天体はある大きさまえは元々の形状を維持するが、ある大きさ(おおむね直径300キロメートル)より大きくなると重力の影響で球体になる

ただし、自転の遠心力の影響で球のほとんどの天体は球が少し横に広がっているという




人類なら知っておきたい 地球の雑学 (中経の文庫) 文庫

地球(を含めた宇宙)には謎や不思議、ギモンが多くあります
空はなぜ青く、夕焼けは赤いのだろうか!?とか・・・
そんな「理系雑学」を楽しくわかりやすく解説
posted by june at 08:23| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NY株は反落・大幅下落、日経平均株価は3営業日続伸・大幅上昇

7日(現地時間)のNY株(ダウ平均株価)は、反落し、終値は前週末398ドル51セント安の4万1954ドル24セント

ハイテク株中心のナスダックは213.95ポイント安の1万7923.90

S&P500は55.13ポイント安の5695.94




7日(日本時間)の日経平均株価は3営業日続伸し、終値は前週末697円12銭安の3万99332円74銭で9月27日以来の3万9000円台回復


(この記事は、ネットニュースの記事で作りました)

7日のダウ平均株価の終値は前週末比390ドル超の大幅下落
ナスダックも大きく下落

7日の日経平均株価の終値は前週末比690円超の大幅上昇
posted by june at 07:04| Comment(0) | 株価動向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

競馬、第103回凱旋門賞はブルーストッキングが優勝、シンエンペラーは12着

6日に競馬の第103回凱旋門賞(仏G、パリロンシャン競馬場芝2400メートル)が行われ、イギリス調教馬のブルーストッキング(牝4)が2分31秒58で優勝

2着に1馬身1/4差でアヴァンチュール、3着にはさらに1馬身1/2差でロサンゼルス、4着・ソジー、5着・セヴェナズナイト

日本から参戦のシンエンペラーは12着、武豊騎手騎乗でイギリス調教馬のアルリファーは11着でした

(この記事はJRAのホームページの記事で作りました)

凱旋門賞の壁は厚いですね

今年(2024年)もはねかえされました

来年(2025年)以降に期待です

エルコンドルパサー(1999年)、ナカヤマフェスタ(2010年)、オルフェーヴル(2012年、2013年)の2着は快挙でしたね
posted by june at 04:18| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする