「重力はなぜ存在するのか?」という問いは、物理学の歴史の中で極めて重要な役割を果たしてきました
数多の物理学者がこの謎に挑み、自然界の基本的な法則や宇宙の構造を解明していったのです
カルフォルニア大学バークレー校教授で、素粒子物理学や宇宙論を専門とする野村泰紀さんも、そうした謎に挑む1人です
本稿では、野村さんの最新刊『なぜ重力は存在するのか』からの抜粋で、「ニュートンのリンゴの逸話に隠された物理学における重要ポイント」について紹介していきます
■月にもリンゴにも等しく働く
ニュートンが発見した「万有引力の法則」について紹介していきましょう
「万有引力」とは、文字通り、「万物(あらゆる物体)が有する引き合う力」を意味します。そもそも地球をはじめとする天体は、塵とガスが万有引力によって引き合い、少しずつ集まっていくことで誕生したと考えられています
万有引力がなければ、私たちはそもそも誕生していなかったわけです
さて、よくこの万有引力の発見の経緯について、ニュートンはリンゴが木から落ちる様子を見て、その法則を発見したと言われることがあります
しかしこの逸話は、事実だったかどうかを別にしても、逸話として意味を成していません
なぜリンゴが落ちるのを見ると、万有引力を思いつくのでしょうか?
正しい逸話は、「ニュートンは、なぜリンゴは地面に落ちるのに、月は落ちてこないのかについて考えた」です
それに対するニュートンの答えは、「月も落ちている」でした
これにより、ニュートンは、リンゴが木から地面に落ちるのも、月が地球の周りを回るのも、同じ万有引力が原因であると見抜いたのです
当時は月や太陽、他の天体が存在する天上の世界と、地上の世界は、まったく別の世界であると考えられていました
そのため、当然のことながら、それらを支配している法則も異なると考えられていました
地上の世界には、さまざまな運動が存在するけれど、天上の世界では、円を基本とする円運動だけが行われていると考えられていたのです。
それに対し、ニュートンが発見した万有引力の法則は、天上の世界も地上の世界も同じ物理法則に従っており、自然の背後にある物理法則に天上、地上といった区別はないことを示す、非常に画期的なものでした。
つまり、ニュートンは重力の法則を明らかにすることで文字通り「世界の見え方」を一変させたのです
■「万有引力」と「重力」は同じもの?
ここで、「重力」と「万有引力」は同じものなのか、それとも別のものなのかという疑問をもつ人もいるでしょう
なので、万有引力と重力という用語について説明を加えておきます
地球は自転しているので、あらゆる物体は「遠心力」を受けています
遠心力とは、円運動をすることにより生じる慣性力(見かけの力)のことをいいます
この遠心力と万有引力を合わせた力が、地表での重力です
物体の落下の向きは地表での重力の方向になります
したがって、実は物体は、赤道と北極、南極を除いては、地球の中心からほんのわずかにずれた方向に落ちていくのです
学校で習う物理学ではよく、重力という言葉を、この地球上の物体の間に働く力に限定して使うことがあります
しかし、理論物理学で重力といったときには、往々にして万有引力のことを意味していることも多いです
■月は「落ち続けている」の真相
ここで、ニュートンが万有引力を発見したときの話に戻ります
「リンゴが木から地面に落ちるのも、月が地球の周囲を回るのも、同じ万有引力が原因であると見抜いた」とは、一体どういうことでしょうか
まず、地面から空中に向かって、斜め上の方向へボールを投げるのをイメージしてみてください
ガリレオが発見したように、ボールは放物線を描いて地面に向かって落下していきます
ここでもし、万有引力が働いていないとすると、ボールは落ちずに斜め上の方向に直進し続けるはずです
しかし、万有引力により、ある点を頂点に下降し始めます
では、次に、月の運動について考えます
もしも地球からの万有引力がなければ、月は慣性の法則に従い、運動の速度と方向を保ったまま、地球の周囲に留まることなく、まっすぐに飛び去ってしまうはずです
しかし、万有引力によって地球に引っ張られているため、月は進行方向を変えられてしまいます
つまり、慣性の法則に従った直進の経路と、実際の円運動の軌跡との差の分だけ、月は常に落下し続けていると考えることができます
ここで、「投げたボールは地面に落ちるのに、月が地上に落ちないのはなぜ?」と疑問をもつ人もいますよね
投げたボールが地面に落下してしまうのは、ボールの軌跡が地面と交わってしまうからです
地球は球なので、地面は平坦ではなく実は曲がっています
そこで、ボールの速度をどんどん上げていき、遠くまで飛ぶようにすれば、ボールの落下の幅と球面である地面の下がる幅が一致し、ボールと地面との距離は縮まらなくなります
その結果、ボールは月のように、地面との距離を一定に保ったまま、地球の周りを回り続けることになるのです。
■月が地球の周りを回り続けられる理由
こときの速度を、「第1宇宙速度」といいます
具体的には、秒速7.9キロメートルになります。さらに速度が上がり、秒速11.2キロメートルになると、地球の重力を振り切って地球から離れることができます
この速度を、「第2宇宙速度」または「脱出速度」といいます。
しかし、地球の重力を振り切っても、今後は太陽の重力に捕らえられてしまいます
太陽の重力を振り切って、太陽系外へ飛び出していくために必要な速度は、秒速16.7キロメートルで、「第宇宙速度」といいます
円運動(正確には円に近い楕円ですが)をしている月は万有引力を受けているので、地球の中心方向に加速度をもっていることになります
したがって、円運動は加速度運動といえます
このことを月の視点から見ると、月は加速度運動をしているので、地球と反対方向に遠心力が働くということになります
つまり、月の視点では、遠心力と地球からの万有引力がちょうど釣り合っているため、月は地球に落ちることなく、地球の周りを回り続けているということになるのです
(この記事は、東洋経済オンラインの記事で作りました)
アイザック・ニュートンは、物理学と数学で大きな功績を残した偉大な人物です
数学でも微分・積分などで知られますが、物理学においては、古典物理学を支配した巨人です
相対性理論や量子(力学)論が生まれた現代物理学以後でもニュートンの理論・考え方、万有引力などは大きな影響力があります
20世紀最大の天才といわれ、独自の理論、発想などをし、専門の学者としては蔵書が少なかったアルベルト・アインシュタインも彼の蔵書にニュートンの主著「プリンキピア」があり、アインシュタインはニュートンを尊敬していたといわれます
なぜ重力は存在するのか 世界の「解像度」を上げる物理学超入門 (マガジンハウス新書 024) 新書
物理学で古典物理学を支配・完成したニュートン力学、万有引力から現代物理学の相対性理論・量子(力学)論までの物理学
宇宙・自然界を支配する重力の謎に迫る
2024年09月08日
日本では見られない世界の異文化葬儀5選
人類は古来より、死者を敬い、その魂を丁重に弔ってきた
その葬儀の方法は、地域や宗教、文化によって多岐にわたり、現代の日本では考えられないようなものも存在する
現在、日本では火葬が主流となっているが、世界にはさまざまな形で死者を送る風習が残っている
ここでは、現代日本では見られない世界の葬儀5選を紹介する
鳥葬
鳥葬は、主にチベットで見られる、遺体をハゲワシなどに食べさせる葬儀方法である
チベットでは人が死ぬと、僧侶を呼んで祈祷をしてもらい、遺体を屈ませてロープで縛り、葬送の日まで喪家の片隅で安置する
葬送の日には、遺体処理人が遺体を鳥葬用に指定された山頂まで運び、肉を切り刻んで鳥が食べやすい状態にする
その後、僧侶が再び祈祷を行い、ハゲワシが飛来して遺体を食べ尽くすという
チベットの死者の葬り方には独自のランクがあり、宇宙生成の五元素である地・水・火・風・空のうち空が最も尊く、地が最も卑しいとされていることから、火葬や鳥葬などの曝葬(風葬)が重んじられる
なお、僧侶に関しては一般的には火葬で葬られる
崖葬
崖葬は、かつて中国、インドネシア、フィリピンなどで見られた、遺体を崖に吊るす葬儀方法で「ハンギング・コフィン」とも呼ばれる
フィリピンのサガダの例では、遺体を胎児のように小さく丸め、腐敗臭を抑えるため煙でいぶして燻製状態にする
その後、小さな棺に収めて崖に吊るす。
サガダでは「遺体をより高い位置に安置することで、魂が天に近くなる」と考えられていた
また、野生動物や首狩り族による、遺体荒らしを防ぐためでもあった
他に崖葬に近いものとして、樹木の上部や股の部分に遺体を安置する「樹上葬」なども挙げられるが、現在はどちらも廃れた葬儀方法である
サガダでは、2010年に行われた崖葬が最後とされている
水葬
水葬は、主にインドのヒンズー教徒の間などで見られ、火葬した後の遺灰を川に流すという葬儀方法である
死者が幼児の場合は火葬せず、遺体に石の重りをくくりつけて川に流す。
ヒンズー教徒は、「死後には肉体は滅びるが、魂は輪廻転生するため墓は作る必要がない」と考えている
インド独立の父と称されるマハトマ・ガンディーも、ヒンズー教の慣習に則って遺灰は川に流された
しかし、火葬費用が用意できない低所得者、または伝染病などで大量に死者が出て葬儀場が間に合わない場合などは、大人でも火葬せず、そのまま川に流されることもあった
近年では、コロナの影響で火葬場が過密状態になった結果、インド北部で一部の遺体がガンジス川に流される事態が発生し、社会問題となった
余談ながら、かつてインドには夫が亡くなった際に、その妻が火葬の炎と共に自ら命を絶つ「サティ」と呼ばれる慣習が存在した
英国統治下の1892年に法的に禁止されたものの、現在でも稀にサティが行われ、ニュースになることがあるようだ
風葬
風葬は、遺体を野ざらしにして自然の力で風化させる葬儀方法であり、かつて日本でも行われていた
曝葬、空葬とも呼ばれ、前述した鳥葬や崖葬なども風葬に含まれる
風葬が行われる理由としては、宗教の教えに則ったものや、地理的または経済的に火葬が困難な場合などが挙げられる
日本では平安時代、特に京都の郊外で庶民の間で行われていた
現在でも風葬が行われる地域はあり、棺の有無などは地域によってさまざまである
遺体を安置する場所については、人里離れた洞窟などを墓地として利用しているケースが多い
インドネシアのスラウェシ島南部に住むトラジャ族では、遺体を「トンコナン」という家屋の居間に安置する
死から葬儀が行われるまでにかなりの時間を要し、その間は生でも死でもない「病気の状態」とされる(遺体はミイラ化していく)
葬儀の際は「タウタウ」と呼ばれる木像が遺体に添えられ、僻地の洞窟にある墓地に葬られるそうだ
食葬
食葬は、かつてパプアニューギニアの一部の地域で行われていた葬儀方法の一つである
この地域では、長老の葬儀が数日間にわたり、盛大に行われる
その中で、長老の継承者がその血統を引き継ぐために、食葬が行われていたとされる
この風習は現在では禁止されているが、歴史的には特定の地域で同様の慣習が報告されている
日本の一部地域では「骨噛み」と呼ばれる風習があり、葬儀後に近親者が遺骨を分け合って食べることで、故人の魂を体内に宿すとされた
この風習は今でも残っているが、遺骨には「六価クロム」という発がん性物質が含まれているため、無害化するか少量にするなどの注意が必要である
おわりに
今回紹介した葬儀方法以外にも、世界にはさまざまな形式の葬儀が存在している
中には儀式の一部として、家畜や奴隷を生贄に捧げた例も見られる
こうした世界各地の多様な死生観や伝統に触れることで、「生と死、そして命とは何なのか」と改めて考えさせられるものがある
参考文献
「世界葬祭事典」松濤弘道
文 / 小森涼子
投稿 驚愕! 日本では見られない世界の異文化葬儀5選 「鳥葬、崖葬、水葬、風葬、食葬」 は 草の実堂 に最初に表示されました
(この記事は、草の実堂の記事で作りました)
世界には様々な葬儀(法)がある
宗教観・死生観・文化観などがある
テレビアニメ「デビルマン」で鳥葬をする場面もあったが、衝撃を受けた
鳥葬、風葬はある意味で自然に近いのかもしれない
水葬や海に遺骨をまく葬儀も「聖なる」川や海へ「帰す」ということか・・・
食葬も故人の魂を体内に宿すということか・・・・
様々な葬儀に触れ、いろいろ考えさせられますね
世界葬祭事典 単行本(ソフトカバー)
死は必ず誰にも訪れる
「死ぬ」ことを考え「生きること」を考える
死生観・宗教観・文化観・その人の考えは様々だ
同じく世界の葬儀も様々だ
その葬儀の方法は、地域や宗教、文化によって多岐にわたり、現代の日本では考えられないようなものも存在する
現在、日本では火葬が主流となっているが、世界にはさまざまな形で死者を送る風習が残っている
ここでは、現代日本では見られない世界の葬儀5選を紹介する
鳥葬
鳥葬は、主にチベットで見られる、遺体をハゲワシなどに食べさせる葬儀方法である
チベットでは人が死ぬと、僧侶を呼んで祈祷をしてもらい、遺体を屈ませてロープで縛り、葬送の日まで喪家の片隅で安置する
葬送の日には、遺体処理人が遺体を鳥葬用に指定された山頂まで運び、肉を切り刻んで鳥が食べやすい状態にする
その後、僧侶が再び祈祷を行い、ハゲワシが飛来して遺体を食べ尽くすという
チベットの死者の葬り方には独自のランクがあり、宇宙生成の五元素である地・水・火・風・空のうち空が最も尊く、地が最も卑しいとされていることから、火葬や鳥葬などの曝葬(風葬)が重んじられる
なお、僧侶に関しては一般的には火葬で葬られる
崖葬
崖葬は、かつて中国、インドネシア、フィリピンなどで見られた、遺体を崖に吊るす葬儀方法で「ハンギング・コフィン」とも呼ばれる
フィリピンのサガダの例では、遺体を胎児のように小さく丸め、腐敗臭を抑えるため煙でいぶして燻製状態にする
その後、小さな棺に収めて崖に吊るす。
サガダでは「遺体をより高い位置に安置することで、魂が天に近くなる」と考えられていた
また、野生動物や首狩り族による、遺体荒らしを防ぐためでもあった
他に崖葬に近いものとして、樹木の上部や股の部分に遺体を安置する「樹上葬」なども挙げられるが、現在はどちらも廃れた葬儀方法である
サガダでは、2010年に行われた崖葬が最後とされている
水葬
水葬は、主にインドのヒンズー教徒の間などで見られ、火葬した後の遺灰を川に流すという葬儀方法である
死者が幼児の場合は火葬せず、遺体に石の重りをくくりつけて川に流す。
ヒンズー教徒は、「死後には肉体は滅びるが、魂は輪廻転生するため墓は作る必要がない」と考えている
インド独立の父と称されるマハトマ・ガンディーも、ヒンズー教の慣習に則って遺灰は川に流された
しかし、火葬費用が用意できない低所得者、または伝染病などで大量に死者が出て葬儀場が間に合わない場合などは、大人でも火葬せず、そのまま川に流されることもあった
近年では、コロナの影響で火葬場が過密状態になった結果、インド北部で一部の遺体がガンジス川に流される事態が発生し、社会問題となった
余談ながら、かつてインドには夫が亡くなった際に、その妻が火葬の炎と共に自ら命を絶つ「サティ」と呼ばれる慣習が存在した
英国統治下の1892年に法的に禁止されたものの、現在でも稀にサティが行われ、ニュースになることがあるようだ
風葬
風葬は、遺体を野ざらしにして自然の力で風化させる葬儀方法であり、かつて日本でも行われていた
曝葬、空葬とも呼ばれ、前述した鳥葬や崖葬なども風葬に含まれる
風葬が行われる理由としては、宗教の教えに則ったものや、地理的または経済的に火葬が困難な場合などが挙げられる
日本では平安時代、特に京都の郊外で庶民の間で行われていた
現在でも風葬が行われる地域はあり、棺の有無などは地域によってさまざまである
遺体を安置する場所については、人里離れた洞窟などを墓地として利用しているケースが多い
インドネシアのスラウェシ島南部に住むトラジャ族では、遺体を「トンコナン」という家屋の居間に安置する
死から葬儀が行われるまでにかなりの時間を要し、その間は生でも死でもない「病気の状態」とされる(遺体はミイラ化していく)
葬儀の際は「タウタウ」と呼ばれる木像が遺体に添えられ、僻地の洞窟にある墓地に葬られるそうだ
食葬
食葬は、かつてパプアニューギニアの一部の地域で行われていた葬儀方法の一つである
この地域では、長老の葬儀が数日間にわたり、盛大に行われる
その中で、長老の継承者がその血統を引き継ぐために、食葬が行われていたとされる
この風習は現在では禁止されているが、歴史的には特定の地域で同様の慣習が報告されている
日本の一部地域では「骨噛み」と呼ばれる風習があり、葬儀後に近親者が遺骨を分け合って食べることで、故人の魂を体内に宿すとされた
この風習は今でも残っているが、遺骨には「六価クロム」という発がん性物質が含まれているため、無害化するか少量にするなどの注意が必要である
おわりに
今回紹介した葬儀方法以外にも、世界にはさまざまな形式の葬儀が存在している
中には儀式の一部として、家畜や奴隷を生贄に捧げた例も見られる
こうした世界各地の多様な死生観や伝統に触れることで、「生と死、そして命とは何なのか」と改めて考えさせられるものがある
参考文献
「世界葬祭事典」松濤弘道
文 / 小森涼子
投稿 驚愕! 日本では見られない世界の異文化葬儀5選 「鳥葬、崖葬、水葬、風葬、食葬」 は 草の実堂 に最初に表示されました
(この記事は、草の実堂の記事で作りました)
世界には様々な葬儀(法)がある
宗教観・死生観・文化観などがある
テレビアニメ「デビルマン」で鳥葬をする場面もあったが、衝撃を受けた
鳥葬、風葬はある意味で自然に近いのかもしれない
水葬や海に遺骨をまく葬儀も「聖なる」川や海へ「帰す」ということか・・・
食葬も故人の魂を体内に宿すということか・・・・
様々な葬儀に触れ、いろいろ考えさせられますね
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「死ぬ」ことを考え「生きること」を考える
死生観・宗教観・文化観・その人の考えは様々だ
同じく世界の葬儀も様々だ