2024年08月10日

NY株は続伸、日経平均株価は反発

9日(現地時間)のNY株(ダウ平均株価)は、続伸し、終値は前日比51ドル05セント高の3万9497ドル54セント

ハイテク株中心のナスダックは85.28ポイント高の1万6745.30

S&P500は24.85ポイント高の5344.16



9日(日本時間)の日経平均株価は反発し、終値は前日比193円85銭高の3万5025円00銭


(この記事は、ネットニュースの記事で作りました)
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「贈り物」という古代ギリシアの「美徳」は、なぜ「賄賂」という「罪」になったのか

「贈り物」と、「賄賂」はどう違うのか
そもそも「賄賂」はなぜ「悪」なのか――
ここのところをよくわかっていない御仁が、現代日本の政財界にもたくさんいるのではないだろうか
新刊『賄賂と民主政 古代ギリシアの美徳と犯罪』(橋場弦著・講談社学術文庫)によれば、民主主義を生み出した古代ギリシアの人々も、「政治とカネ」の問題にはずいぶん悩み続けていたようなのである

「悪いけれどもよい」伝統的な贈答慣行

今から約2500年前――
紀元前5世紀なかばに直接民主政の骨格を完成した都市国家アテナイ(アテネ)は、やがてペリクレスという優れた将軍の指導下で、国力の絶頂を迎える
その繁栄をしのばせる記念物が、アクロポリスにいまも輝くパルテノン神殿だ

このペリクレスという将軍は、軍人・政治家として優秀なばかりか、非常に清廉潔白な人物だったという
同時代の歴史家トゥキュディデスはペリクレスの人格識見を高く評価し、「まったく賄賂になびかない」と記している

〈ペリクレスは15年の間、国家の最高官職である将軍(ストラテゴス)に毎年選ばれたが、その間市内を出歩くときには自宅と役所を往復するのみで、友人から饗応を受けることを極度にきらい、宴会の招きに応じたことはほとんどなかったという。そのような席が、贈収賄の温床になることを恐れてのことであろう。〉(『賄賂と民主政』p.12より)

こうした話が伝えられているのは、逆に当時は私腹を肥やす将軍や有力者が多く、ペリクレスの政治スタイルがむしろ例外的だったことを示している

古代ギリシア社会では、何かモノを贈られれば、なんらかの返礼をすべきであるという価値観が、伝統的に強かった
こうした互酬性を重んじる社会では、贈り物を受け取らなかったり、受け取ったのに返礼をしなかったりするのは「敵対行為」と見なされかねない

〈互酬性を規範としていたギリシア人が、賄賂について「悪いけれどもよい」という両価的な態度をとっていたことは、ある意味で当然の帰結であった
第三者から見れば言語道断の贈収賄行為でも、当事者にとっては伝統的な贈答慣行に従った、うるわしい美徳であり、あるいは少なくとも、それを装うことができた。〉(同書p.25)

では、具体的にどんな場面で、どのように賄賂が贈られたのだろうか
ローマ帝政期の歴史家、プルタルコスがこんなエピソードを伝えている

ギリシア都市連合が大帝国ペルシアと戦った「ペルシア戦争」の時のことである
アテナイ海軍のなかに、ペルシア艦隊と戦うことに反対する軍船の船長がいた
このアルキテレスという男は、船長が乗組員に支払うべき賃金を十分に用意していなかったため、戦闘を避けて早く撤退したかったのである

それに対し、アテナイの将軍テミストクレスが買収工作を仕掛ける

テミストクレスは、パンと肉の食事を弁当箱にいれて、アルキテレスに送ったが、その箱の下には、銀貨が忍ばせてあった
そして彼に「まず食事をして、昼になったらこの資金で乗組員の世話をしてやれ」と命じた
さらに「さもなければ、市民たちの前で、敵から賄賂をもらったやつだといって、おまえをののしってやるぞ!」とおどしをかけたのだ

〈弁当箱の底に貨幣をしのばせるという贈賄の手口は、「菓子折に上げ底」といった日本の伝統的な「袖の下」を連想させる。それはともかく、この事例は、隠れて賄賂がやりとりされていること、そして当事者が賄賂性を認識していることをうかがわせて興味深い。〉(『賄賂と民主政』p.61)

さらにこのエピソードの重要な点は、「撤退を主張すれば、敵国から買収されたと疑われるぞ」というテミストクレスのおどし文句だという
ペルシア戦争という「国難」に直面したアテナイ市民には、莫大な財力を持つペルシアが、一人の軍船船長にまで買収工作の手を伸ばしているのではないか、という危機感が共有されていたことがわかるのである

〈ペルシアから有力者が賄賂を受け取る行為は、ポリスやギリシア世界全体の存立をおびやかすほど危険であると自覚し、その種の賄賂に公的制裁を加えるようになったのである。〉(同書p.71)

「贈り物」を美徳としてきたギリシア人は、ペルシア戦争を契機として、「賄賂」を「悪」として断罪するようになったのだった

「アマチュア役人」が腐敗を防ぐ
冒頭に紹介した清廉潔白な将軍ペリクレスも、賄賂の嫌疑をかけられたことがある

そのひとつが、前446年夏、アテナイのライバル国スパルタの王が、兵を率いてアテナイの領土に侵入した時だった
この時、アテナイ市中に迫ったスパルタ軍は、なぜか突然、きびすを返して引き上げてしまう
その後、アテナイ市民の間に風聞が流れた
――ペリクレスがスパルタ王に賄賂を贈って兵を引かせた、というのだ

しかし、アテナイ市民が、ペリクレスの贈賄行為を非難した形跡はないという

〈この事件でペリクレスが私腹を肥やしたわけではなく、むしろ国を救うために公金を使ったのであれば、なんら非難にはあたいしないと考えられたのであろう。一般に、収賄がきびしく断罪されたのに対し、贈賄を罰する価値観の登場はかなり遅れる。〉(同書p.89)

また、アテナイの国力が絶頂に達したペリクレス時代には、パルテノン神殿の建設など多くの公共事業に巨額の国費が投じられた
しかし、それにもかかわらず、これらの公共事業にからむ贈収賄事件は、はっきりと実証できるものが一件もないという

そもそもアテナイの役人とは、現代社会の汚職官僚とはまったく異なる「アマチュア役人」だった
大多数は抽選で選任され、任期一年で原則として再任はなし
つまり、一人の役人に長期間にわたって強大な権限が集中することを極力避けるシステムになっており、役人への贈賄工作は、非常に効率が悪かったのである
アテナイ民主政のシステムが、腐敗を防止していたといえるだろう。

そして、「収賄だけでなく、贈賄も罪である」という価値観も、この民主政のなかから生まれてくる

ペリクレスから100年近く後の政治家、デモステネスは、「賄賂はなぜ民主政にとって悪なのか」を論じている
彼によれば――、

〈富裕者が富の力によって正義をゆがめることこそ、賄賂が悪であるゆえんである、というのである。富の力が司法という民主政の意思決定過程に、賄賂という形で影響をあたえることに、彼は不正義を見いだしたのであった。〉(同書p.143-144)

アテナイでは、貧富の差にかかわらず、両親ともにアテナイ人であれば、成年男子に均しく市民権が認められ、民会で一人一票の投票権を行使することができたし、役人や評議員に選ばれることも可能だった
富の力によって市民団の意思決定を歪曲する贈収賄を放置することは、民主政の根本原則を揺るがすことになる

だからこそ、アテナイ民主政は賄賂に対して、きびしい態度をけっしてゆるめなかったのである

(この記事は、現代ビジネスの記事で作りました)

賄賂というのは、古代からあったようだ

そして長期政権となると賄賂もでやすくなる

一方で長期政権でないと実現しにくい事案・問題もある



賄賂と民主政 古代ギリシアの美徳と犯罪 (講談社学術文庫 2827) 文庫

賄賂は政治と深く結びついている
これは古代から・・・
金権政治と清廉政治・・・
理想は清廉で実行性のある政治なのだが、「難しさ」もあるようだ
posted by june at 04:56| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする