日本人ならばだれしもがその名を聞いたことある「ヤマトタケル」
ここでは彼の名の由来と皇太子として生まれながら天皇になれなかった理由について迫る
■残酷な殺し方をすることでそう呼ばれた「ヤマトタケル」
ヤマトタケルは、一般的には「大和の勇猛な人」と解されているが、ヤマトタケルは敵に対して大変残酷な殺し方をする
そのような殺され方をした相手から与えられた名前が「ヤマトタケル」なのだ
そこには「ヤマトの猛々しい人」という意味が込められている
その名は、父から熊襲征討を命じられた際に殺害されたクマソタケルの兄弟の弟から奉られた名前である
その後、出雲に立ち寄りイズモタケルをだまし討ちにして帰還した
ところが今度は天皇から東方十二道の征討を命じられる
ヤマトタケルは、伊勢の地で「天皇は私に死ねとおっしゃっているのか」と嘆く
これに対し、叔母のヤマトヒメは、クサナギノツルギを与えヤマトタケルを送り出す
この後、ヤマトタケルは相模(あるいは駿河)において火攻めに遭い、クサナギノツルギ(草薙剣)で切り抜けた
しかし、三浦半島から房総半島に向けて走水(馳水、浦賀水道)横断時に海の神の怒りをかい最愛の妻オトタチバナヒメを失って、「あづまはや」と嘆く
「あづま」という地名の由来である
さらに近江のイブキヤマ(伊賦岐山、五十葺山)で山の神を軽んじたことが命取りとなり、病にとりつかれ伊勢国・能褒野(のぼの)で死去し、白鳥となって飛び立つ
■海の神や山の神の支持を得られず天皇になれなかった
ヤマトタケルの生涯をざっとまとめると以上のようになるが、最後に太子でありながら何故、最終的に天皇になれなかったのかといった点を考えてみたい
『古事記・日本書紀』によれば、ヤマトタケルを苦しめたのは海の神と山の神である
記には、倭国の王の統治理念として「食国之政」と並んで「山海之政」という言葉が登場する
「山海之政」とは山の神や海の神との調和のもとに山野河海を統治していこうとする理念である
ヤマトタケルは、海の神や山の神の支持を得られず天皇になれなかったというのが『古事記・日本書紀』の主張である
モデルは、山の民や海の民を十分に支配できなかった王族将軍である
監修・文/森田喜久男
歴史人2024年4月号「古事記と日本書紀」より
(この記事は、歴史人の記事で作りました)
ヤマトタケルは古事記・日本書紀などにも登場する超有名な英雄だ
その名前の由来と皇太子なのに天皇になれなかったわけを本記事で取り上げている
日本人なら知っておきたい英雄 ヤマトタケル (産経NF文庫) 文庫
古事記や日本書紀にも登場し日本神話ともつながりのある英雄で有名なヤマトタケル
全国各地で「国」づくりに貢献した足跡とその生涯を追う
2024年05月13日
競馬、第19回ヴィクトリアマイルはテンハッピーローズが優勝
12日に競馬の第19回ヴィクトリアマイル(G1、東京芝1600メートル)が行われ、14番人気の津村明秀騎手騎乗のテンハッピーローズが優勝
2着は1馬身1/4差で4番人気のフィアスプライド、3着はさらにクビ差で1番人気のマスクトディーヴァ
(この記事は、JRAのホームページの記事で作りました)
勝ったテンハッピーローズは強かったですね
ヴィクトリアマイルといえば2009年のウオッカですかね
他馬と次元の違う末脚で圧勝
ウオッカは64年ぶり牝馬の日本ダービー制覇などG1・7勝
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