15日(現地時間)のNY株(ダウ平均株価)は、6営業日続落し、終値は前週末比248ドル13セント安の3万7735ドル11セント
ハイテク株中心のナスダックは290.07ポイント安の1万5885.02
15日(日本時間)の日経平均株価は反落し、終値は前週末比290円75銭安の3万9232円80銭
前週末12日の米国株安や中東情勢の緊迫化に伴い、日経平均の下げ幅は700円を超える場面もあった
(この記事は、ネットニュースの記事で作りました)
2024年04月16日
「反証されない仮説」は「信念以上のものではない」と断言できる「じつに正当な理由」
累計43万部を突破し、ベストセラーとなっている脳研究者・池谷裕二さんによる脳講義シリーズ
このたび、『進化しすぎた脳』『単純な脳、複雑な「私」』(講談社ブルーバックス)に続き、15年ぶりとなるシリーズ最新作『夢を叶えるために脳はある』(講談社)が刊行され、早くも話題となっている
なぜ僕らは脳を持ち、何のために生きているのか
脳科学が最後に辿り着く予想外の結論、そしてタイトルに込められた「本当の意味」とはーー
高校生に向けておこなわれた脳講義をもとにつくられた本書から、その一部をご紹介しよう
科学に唯一できることは仮説の反証だ
自分の仮説を否定することは、心理的な側面とは異なる、別の重要性がある
たとえば、「地球上のすべてのハクチョウは白い」とか「地球上にツチノコはいない」という仮説を立てたとしよう
研究者はどうしたらこれを証明できるんだろうか
証明が非常にむずかしいことはすぐにわかるよね
地球上のすべての場所を調べ尽くすのは現実的には不可能だからだ
ー悪魔の証明
そう
証明することが不可能なこと、あるいは、非常に困難で現実的に不可能なことを、「悪魔の証明」と言ったりするね
「地球上にツチノコはいない」なんていう証明は、まさにそれだ
なにかを検証するとき、手続きとしては、仮説を証明するよりも、反証するほうが簡単だ
この場合は、ツチノコを1匹、見つけられさえすればよい
あるいは、黒いハクチョウを1羽見つければよいだけだ
実際、オーストラリアには黒いハクチョウがいる
コクチョウとも呼ばれる
だから、地球上のすべてのハクチョウは白いという仮説が「間違っている」ことは、科学的に証明できる
一方、「ツチノコはいない」は、誰にも証明できない
探索が不十分だったかもしれないという可能性は永遠に消えないからだ
「神はいない」という仮説も同じだ
神の存在を、科学的に否定することは、論理的には不可能だ
こんな具合に、いかなる仮説も、それが「正しい」ことを、積極的には証明できない
これでわかったかな
仮説をどんなにがんばって検証したところで、すべての可能性を検証しきることができない以上、その仮説が「正しい」と証明することは、絶対にできない
直感に反するかもしれないけれど、科学者が証明できることは「自分の仮説が間違っている」ことだけだ
イギリスの哲学者カール・ポパーは「私たちは科学の価値を勘違いしている。科学の目的は仮説を証明することではない。科学に唯一できることは仮説を反証することである」と指摘している
「仮説を否定できない」は「失敗」
自分の仮説が正しいかどうかを検証してゆく過程で、もし自説に反する事象を見つけられなかったら、普通の感覚だったら「やった! 私の仮説は正しいのだ!」と、ますます確信を深めていくだろう
でも、ポパーに言わせれば、それは「仮説が証明されたのではなく、仮説の反駁に失敗しただけである」となる
科学は消去法によって前進する
だから、自分の仮説を否定できなかったら、科学的には「失敗」なんだ
むしろ「自分の仮説が間違っている」とわかったときに、ようやく知見が一歩深化する
これは一見すると、突拍子もない主張のようでいて、よくよく考えれば、極めてまっとうだ
実験科学者たちは、もちろん、この点を理解して研究を進めている
でも、多くの一般の方は、もしかしたら誤解しているかもしれない
仮説は反証されない限り、いつまでも仮説のままで、「正しいと信じている」だけの状態だ
だから、信仰となんら違いはない
リンゴが木から落ちるのも、地球が太陽の周りを回っているのもそう
いかなる物理の法則や化学の原理も、実は「信じておいても当面は問題なさそうだ」という信念のレベルを超えていない
とことん宗教的だ
(この記事は、現代ビジネスの記事で作りました)
脳の存在意義、自分の存在意義について考えさせる
「仮説を否定できない」は「失敗」になるほどと思いました
夢を叶えるために脳はある 「私という現象」、高校生と脳を語り尽くす 単行本(ソフトカバー)
ベストセラーとなっている脳研究者・池谷裕二さんによる脳講義シリーズの最新刊
脳の存在意義、自分の存在意義について考える
なぜ「人を殺してはいけない」
心と脳は「別のものなのか、同じものなのか」
ブラックホールを経験していないのに、どうして「科学的」と言えるのか
「この世界は夢ではない」と証明することはできるのか
などの問いと筆者のヒント、答え、矛盾などにも考えさせられました
世の中、難問や矛盾、分からないことが多いが(自分でそうしているのかもしれないが)せっかく(縁あってこの世に生まれたのだから)なら楽しく生きようと感じた
このたび、『進化しすぎた脳』『単純な脳、複雑な「私」』(講談社ブルーバックス)に続き、15年ぶりとなるシリーズ最新作『夢を叶えるために脳はある』(講談社)が刊行され、早くも話題となっている
なぜ僕らは脳を持ち、何のために生きているのか
脳科学が最後に辿り着く予想外の結論、そしてタイトルに込められた「本当の意味」とはーー
高校生に向けておこなわれた脳講義をもとにつくられた本書から、その一部をご紹介しよう
科学に唯一できることは仮説の反証だ
自分の仮説を否定することは、心理的な側面とは異なる、別の重要性がある
たとえば、「地球上のすべてのハクチョウは白い」とか「地球上にツチノコはいない」という仮説を立てたとしよう
研究者はどうしたらこれを証明できるんだろうか
証明が非常にむずかしいことはすぐにわかるよね
地球上のすべての場所を調べ尽くすのは現実的には不可能だからだ
ー悪魔の証明
そう
証明することが不可能なこと、あるいは、非常に困難で現実的に不可能なことを、「悪魔の証明」と言ったりするね
「地球上にツチノコはいない」なんていう証明は、まさにそれだ
なにかを検証するとき、手続きとしては、仮説を証明するよりも、反証するほうが簡単だ
この場合は、ツチノコを1匹、見つけられさえすればよい
あるいは、黒いハクチョウを1羽見つければよいだけだ
実際、オーストラリアには黒いハクチョウがいる
コクチョウとも呼ばれる
だから、地球上のすべてのハクチョウは白いという仮説が「間違っている」ことは、科学的に証明できる
一方、「ツチノコはいない」は、誰にも証明できない
探索が不十分だったかもしれないという可能性は永遠に消えないからだ
「神はいない」という仮説も同じだ
神の存在を、科学的に否定することは、論理的には不可能だ
こんな具合に、いかなる仮説も、それが「正しい」ことを、積極的には証明できない
これでわかったかな
仮説をどんなにがんばって検証したところで、すべての可能性を検証しきることができない以上、その仮説が「正しい」と証明することは、絶対にできない
直感に反するかもしれないけれど、科学者が証明できることは「自分の仮説が間違っている」ことだけだ
イギリスの哲学者カール・ポパーは「私たちは科学の価値を勘違いしている。科学の目的は仮説を証明することではない。科学に唯一できることは仮説を反証することである」と指摘している
「仮説を否定できない」は「失敗」
自分の仮説が正しいかどうかを検証してゆく過程で、もし自説に反する事象を見つけられなかったら、普通の感覚だったら「やった! 私の仮説は正しいのだ!」と、ますます確信を深めていくだろう
でも、ポパーに言わせれば、それは「仮説が証明されたのではなく、仮説の反駁に失敗しただけである」となる
科学は消去法によって前進する
だから、自分の仮説を否定できなかったら、科学的には「失敗」なんだ
むしろ「自分の仮説が間違っている」とわかったときに、ようやく知見が一歩深化する
これは一見すると、突拍子もない主張のようでいて、よくよく考えれば、極めてまっとうだ
実験科学者たちは、もちろん、この点を理解して研究を進めている
でも、多くの一般の方は、もしかしたら誤解しているかもしれない
仮説は反証されない限り、いつまでも仮説のままで、「正しいと信じている」だけの状態だ
だから、信仰となんら違いはない
リンゴが木から落ちるのも、地球が太陽の周りを回っているのもそう
いかなる物理の法則や化学の原理も、実は「信じておいても当面は問題なさそうだ」という信念のレベルを超えていない
とことん宗教的だ
(この記事は、現代ビジネスの記事で作りました)
脳の存在意義、自分の存在意義について考えさせる
「仮説を否定できない」は「失敗」になるほどと思いました
夢を叶えるために脳はある 「私という現象」、高校生と脳を語り尽くす 単行本(ソフトカバー)
ベストセラーとなっている脳研究者・池谷裕二さんによる脳講義シリーズの最新刊
脳の存在意義、自分の存在意義について考える
なぜ「人を殺してはいけない」
心と脳は「別のものなのか、同じものなのか」
ブラックホールを経験していないのに、どうして「科学的」と言えるのか
「この世界は夢ではない」と証明することはできるのか
などの問いと筆者のヒント、答え、矛盾などにも考えさせられました
世の中、難問や矛盾、分からないことが多いが(自分でそうしているのかもしれないが)せっかく(縁あってこの世に生まれたのだから)なら楽しく生きようと感じた