14日(現地時間)のNY株(ダウ平均株価)は、6営業日続伸で史上最高値を更新し、終値は前日比158ドル11セント高の3万7248ドル35セント
ハイテク株中心のナスダックは27.56ポイント高の1万4761.56
14日(日本時間)の日経平均株価は4営業日ぶりに反落し、終値は前日比240円10銭安の3万2686円25銭
(この記事は、ネットニュースの記事で作りました)
2023年12月15日
「鬼」という概念がどのように日本全国に広まったのか?
「鬼」という概念がどのように日本全国に広まったのか?
その系譜をたどる
■仏教の普及とともに鬼が日本全土に広まる
『日本書紀』には「邪しき神」を「邪しき鬼」とする
これは「おに」ではなく「カミ」や「モノ」と読んだ
つまり目に見えない、得体の知れぬ恐ろしいモノだったが、これがなぜ「オニ」と訓読みされ、漢字の「鬼」の字があてられたのかは、今もって決定的な説がない
ただ、中国語の鬼(グゥイ)が、日本でいう「幽霊」に近いものであるというのは、鬼の成り立ちを考えるうえで重要だ
インドから中国を経由して日本にもたらされた仏教も「鬼」を重く扱う
サンスクリット語のプレータの訳語に「餓鬼」や「鬼」の字があてられる
古代インドにおいて餓鬼の物語を綴った『餓鬼事経(がきじきょう)』では、六道(ろくどう)のなかの餓鬼道にヤクシャ(夜叉)、ラークシャサ(羅刹)など凶暴な精霊がいるとする
『往生要集(おうじょうようしゅう)』では牛の頭をした牛頭(ごず)・馬の頭をした馬頭(めず)という鬼や、羅刹(らせつ)という鬼が地獄の獄卒(ごくそつ)として描かれる
平安時代末期の公卿(くぎょう)・藤原頼長(ふじわらよりなが)は日記『台記』に鳥羽法皇が病にかかったのは祖父・白河法皇の「鬼」に憑かれたものであると記した
そのように日本でも平安貴族などの教養人が、本来のものと思われる死霊の意味で「鬼」という言葉を用いていた例がある
鬼の概念の変遷にともない、文献に描かれる鬼の姿や性質も変容していった
平安時代の『伊勢物語』や『今昔物語集』などにあらわれる「鬼」は、すべて目に見えない存在として描かれている
それが鎌倉時代の『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』になると、伊豆の離島に漂着した巨大で異様な姿の異人を「鬼」と記すようになる
『百鬼夜行絵巻』にはさまざまな姿の鬼が描かれるが、室町時代になると鬼の図像化が進み、今日の鬼のイメージの原型ともいえるような鬼の姿が見られるようになる
鬼たちがすむ鬼ヶ島といえば昔話の「桃太郎」が有名だが、14世紀に成立した『保元物語』に鬼島が出てくる
そこに源為朝(ためとも)が上陸すると、図体のでかい鬼の子孫と出会う
彼らは昔あったという隠蓑(かくれみの)・隠笠・浮履(うき)といった宝物を失くし、神通力も失っている
同じ14世紀には酒呑童子が登場する『大江山絵詞』も制作された
目に見えない存在であったものが、室町時代あたりから多様化し、また擬人化も進んでいったことが想像できよう
修二会(しゅにえ)や節分で鬼を追い払う豆まきの習慣は中国の追儺(ついな)を起源とする行事である
子どもの遊び「鬼ごっこ」、狂言「鬼瓦」などと呼び、「鬼に金棒」「鬼が笑う」という言葉もある
さまざまな姿形で、鬼は庶民の生活に深く浸透しているのである
監修・文 八木透/上永哲矢
歴史人2023年6月号「鬼と呪術の日本史」より
(この記事は、歴史人の記事で作りました)
鬼は、日本に伝来した初期は姿形のない得体の知れぬ恐れるものだったが、時代の経過とともに姿形がはっきりする
神の使い(例えば地獄の閻魔様の手下)、悪魔、怖いもの、病気、天災、死霊、邪悪な者、外国人、能力者、力持ちの総称だったりするなど庶民の生活に浸透していった
鬼と日本人の歴史 (ちくまプリマー新書 422) 新書
鬼はさまざまな形、状態などで日本人の生活に浸透していった
基本的には恐れるもの
その系譜をたどる
■仏教の普及とともに鬼が日本全土に広まる
『日本書紀』には「邪しき神」を「邪しき鬼」とする
これは「おに」ではなく「カミ」や「モノ」と読んだ
つまり目に見えない、得体の知れぬ恐ろしいモノだったが、これがなぜ「オニ」と訓読みされ、漢字の「鬼」の字があてられたのかは、今もって決定的な説がない
ただ、中国語の鬼(グゥイ)が、日本でいう「幽霊」に近いものであるというのは、鬼の成り立ちを考えるうえで重要だ
インドから中国を経由して日本にもたらされた仏教も「鬼」を重く扱う
サンスクリット語のプレータの訳語に「餓鬼」や「鬼」の字があてられる
古代インドにおいて餓鬼の物語を綴った『餓鬼事経(がきじきょう)』では、六道(ろくどう)のなかの餓鬼道にヤクシャ(夜叉)、ラークシャサ(羅刹)など凶暴な精霊がいるとする
『往生要集(おうじょうようしゅう)』では牛の頭をした牛頭(ごず)・馬の頭をした馬頭(めず)という鬼や、羅刹(らせつ)という鬼が地獄の獄卒(ごくそつ)として描かれる
平安時代末期の公卿(くぎょう)・藤原頼長(ふじわらよりなが)は日記『台記』に鳥羽法皇が病にかかったのは祖父・白河法皇の「鬼」に憑かれたものであると記した
そのように日本でも平安貴族などの教養人が、本来のものと思われる死霊の意味で「鬼」という言葉を用いていた例がある
鬼の概念の変遷にともない、文献に描かれる鬼の姿や性質も変容していった
平安時代の『伊勢物語』や『今昔物語集』などにあらわれる「鬼」は、すべて目に見えない存在として描かれている
それが鎌倉時代の『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』になると、伊豆の離島に漂着した巨大で異様な姿の異人を「鬼」と記すようになる
『百鬼夜行絵巻』にはさまざまな姿の鬼が描かれるが、室町時代になると鬼の図像化が進み、今日の鬼のイメージの原型ともいえるような鬼の姿が見られるようになる
鬼たちがすむ鬼ヶ島といえば昔話の「桃太郎」が有名だが、14世紀に成立した『保元物語』に鬼島が出てくる
そこに源為朝(ためとも)が上陸すると、図体のでかい鬼の子孫と出会う
彼らは昔あったという隠蓑(かくれみの)・隠笠・浮履(うき)といった宝物を失くし、神通力も失っている
同じ14世紀には酒呑童子が登場する『大江山絵詞』も制作された
目に見えない存在であったものが、室町時代あたりから多様化し、また擬人化も進んでいったことが想像できよう
修二会(しゅにえ)や節分で鬼を追い払う豆まきの習慣は中国の追儺(ついな)を起源とする行事である
子どもの遊び「鬼ごっこ」、狂言「鬼瓦」などと呼び、「鬼に金棒」「鬼が笑う」という言葉もある
さまざまな姿形で、鬼は庶民の生活に深く浸透しているのである
監修・文 八木透/上永哲矢
歴史人2023年6月号「鬼と呪術の日本史」より
(この記事は、歴史人の記事で作りました)
鬼は、日本に伝来した初期は姿形のない得体の知れぬ恐れるものだったが、時代の経過とともに姿形がはっきりする
神の使い(例えば地獄の閻魔様の手下)、悪魔、怖いもの、病気、天災、死霊、邪悪な者、外国人、能力者、力持ちの総称だったりするなど庶民の生活に浸透していった
鬼と日本人の歴史 (ちくまプリマー新書 422) 新書
鬼はさまざまな形、状態などで日本人の生活に浸透していった
基本的には恐れるもの