2023年03月08日

アントニオ猪木さん お別れの会

元プロレスラーで参院議員も務め、昨年10月1日に79歳で死去したアントニオ猪木(本名・猪木寛至)さんのお別れの会が7日、東京・両国国技館で行われた

会場中央にはトレードマークの赤いマフラーと赤いネクタイを締めた遺影が設置され、その下には「闘魂」の文字

手前の式壇はリングを模した形で、中央に赤いマフラーをイメージした道が用意された

その脇には現役時代に使用したガウンが展示された

式典は冒頭、「闘魂」の文字と、猪木さんが引退スピーチで披露した詩『道』がモニターに映し出され、盟友の坂口征二・新日本プロレス相談役が開式を宣言

続いて入場曲「イノキ・ボンバイエ」が流れ、追悼の10カウントゴング

さらにモニターにありしの日の写真や試合映像が流された

弔辞では、政治の世界で長い付き合いだった森喜朗元首相が、病床にあった猪木さんからの電話について披露

ちょうど弟子にあたる馳浩氏が石川県知事選挙の最中で、その行方を心配するものだったそうで、「馳くんは有利な状況ではなかったが、これで負けたら猪木に申し訳ないぞと話をしてやった」

そこから奮起した馳氏が初当選を果たしたと振り返った

弟子の藤波辰爾氏は、16歳で弟子入りした当時から振り返り、「私はまだ、あなたから教えられた闘魂を胸に戦い続けています。あなたは私の永遠の師匠であり、不滅のヒーローです」と思いを語った

新日本プロレス中継で名を上げたアナウンサーの古舘伊知郎氏は冒頭、アンドレ・ザ・ジャイアント戦の実況を当時のままに語り、「猪木さん、最後まで肉体のブルースを奏でてくれてありがとう」と、自分が紡ぎだした言葉を使って追悼した

最後に猪木さんの孫、猪木尚登さん(14)とプロレスラーのオカダ・カズチカが主唱し、会場全員で「1、2、3、ダーッ!!」を唱和して締めた

その後、関係者による献花が行われた

(この記事は、サンケイスポーツの記事で作りました)

猪木さんは馬場さんがプロレスにこだわったのに対し、「プロレス最強」を証明するため異種格闘技やさらに政治家へも「挑戦」しました

総合格闘技が隆盛したのは猪木さんの異種格闘技戦があったからだと思います


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「魅せる男」アントニオ猪木に迫る
つねに「仕掛け」「挑戦」した人生を振り返る
posted by june at 14:15| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

柔道、大野将平選手 五輪3連覇目指さず

柔道で五輪連覇を果たした大野将平選手が7日、会見を開き、指導者としてイギリスへ留学すると発表した

大野選手は「東京五輪の2連覇以上の成功体験はない」と話し、パリ五輪については目指さないと明言した

大野選手は来年度、JOCの指導者派遣制度でイギリスに2年間留学する予定

引退はせず、プレイングコーチとして、選手の育成にあたる

柔道では過去に全日本男子前監督の井上康生氏も、この研修制度で留学している

留学先にヨーロッパを選んだ理由については「人気や熱量」を挙げる

「日本柔道はオリンピックの金メダルまたは世界チャンピオン、そういったものが当たり前で、そのハードルの高さっていうのをやりがいに競技生活を送ってきた反面、評価されない切なさを感じてきた。ヨーロッパの国際大会の盛り上がりの裏側といいますか、運営だったり、実際に現地に行ってみないとわからないことってのもたくさんあると思いますのでそういったことも、行って聞きたいなと。そしていずれは柔道として国際的な人材になれるように精進していきたい」と話した

五輪では連覇を果たした大野選手

「東京五輪の2連覇以上の成功体験はない。自国開催で連覇できたってことは、自分の人生において一番の誉れ。日本柔道を世界に表現、体現できたという自負は持てる」

日本人では斉藤仁さんや、野村忠宏さんに続く、男子史上4人目の快挙だった

パリ五輪で3連覇の期待もあったが「東京五輪を終えて1年間休んだが心のそこからは休めていなかった。73㎏級で10年間戦ってきたが、戦いたい選手がいなくなったことが大きく、心燃える大会が出てこなかったことも正直ある」と自身の葛藤を述べた

後輩たちに向けて「武道とスポーツの違いを理解して畳の上に立ってほしい。スポーツ選手でもあり、アスリートでもあり、ですがあくまでも柔道家でありたいなと、私は常日頃から思っていました。柔道のルーツは生きるか死ぬか、命を懸けたところにある。命を懸ける覚悟がないとなかなか金メダルは取れない。そこまでやる必要があるのかという疑問も有るかと思うが、それくらいの心づもりをしてぜひ畳の上に上がってほしい」と話した

(この記事は、TBSニュースデグの記事で作りました)

大野将平選手は五輪連覇の他に世界選手権優勝3回などがある

柔道家に引退はないとの言葉に武道家・大野将平を感じた


心が奮い立つ! トップアスリート35人のメンタル術

日本のトップアスリートたちのメンタル術を紹介
夢をかなえる、成功をもたらす「心」とは

大野将平選手のメンタル術も掲載
posted by june at 12:05| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

侍ジャパン強化試合最終戦大勝 村上内野手・山川内野手に待望の一発

7日にカーネクスト 2023ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)強化試合が行われた

日本代表(侍ジャパン)がオリックスに9-1(京セラドーム大阪)で勝利

「侍ジャパン」がWBC前最後の強化試合で大勝した

これまで座っていた4番から6番に変更となった村上宗隆内野手(ヤクルト)が初回に先制3ラン

ここまでの5試合で2安打と苦しんでいた昨季のセ・リーグ三冠王に待望のアーチが生まれた

これまでの5試合で16打席無安打と苦しんでいた山川穂高内野手(西武)も待望の初アーチを8回に放った

6日の阪神との強化試合では、3ラン2発で6打点をマークしていた大谷翔平投手(米大リーグ・エンゼルス)は、2試合連続で「3番DH」でスタメン出場。2打席に立ち1安打1四球だった

4番に座った吉田正尚外野手(同・レッドソックス)は3安打4打点と躍動した

9日のWBC1次リーグ初戦、中国戦(東京ドーム)に、向けて打線に好材料が多くそろった実りある強化試合最終戦となった

(この記事は、西日本スポーツの記事で作りました)

不調だった村上内野手、山川内野手にも待望の本塁打が出て試合も侍ジャパンの大勝

WBC初戦も楽しみですね


'09 WORLD BASEBALL CLASSIC TM 日本代表 V2への軌跡

2009年のワールド・ベースボール・クラシックで日本代表が2006年に続く2連覇を達成した軌跡を収録

日本は2009年の連覇以来のWBCの王座奪回を目指す
posted by june at 10:08| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NY株は、FRBのパウエル議長の議会証言を受け、利上げ加速への警戒感が強まり、反落した

7日(現地時間)のNY株(ダウ平均株価)は、米連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル議長の議会証言を受け、利上げ加速への警戒感が強まり、反落した

終値は前日比574ドル98セント安の3万2856ドル46セント

ハイテク株中心のナスダックは145.41ポイント安の1万1530.33





7日(日本時間)の日経平均株価は3営業日続伸し終値は前日比71円38銭高の2万8309円16銭

前日の米株式相場は方向感に乏しかったが、投資家の間で日本株の先高観が強まるなか、短期筋などによる株価指数先物への断続的な買いが入り、相場全体を押し上げた

半面、相場過熱を警戒した戻り待ちの売りや利益確定の売りは一段の上値を抑え、大引けにかけてはやや伸び悩んだ


(この記事は、ネットニュースの記事で作りました)

7日のダウ平均株価の終値は前日比574ドル超の大幅下落
posted by june at 07:12| Comment(0) | 株価動向 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ボクシング村田諒太選手が事実上の引退表明

ボクシングの2022年度年間表彰式が2月22日、都内で行われ、ロンドン五輪ミドル級金メダリストで前WBA世界同級スーパー王者・村田諒太選手が現役引退を示唆した

表彰式後に取材対応

昨年4月に敗れたゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)戦について「あの試合は僕の中では最後だと思っている。まだ発表できていないだけ」と事実上の引退を表明した

村田選手はこの日、ゴロフキン戦で年間最高試合賞(世界戦)を受賞

9回2分11秒TKOで敗れたものの、日本ボクシング史上最大のビッグマッチと言われた世界的レジェンドとの死闘はボクシングファンを熱狂させた

表彰式後に報道陣の取材に応じた37歳の村田選手は、当時の試合について問われ「興行はよかった」とし、こう続けた

「やっぱり日本では何を持って一番大きいかと言ったらわからないけど、金額的には一番大きかったでしょうし、ミドル級の統一戦なので、今後なかなかないことではないかと思う。そういった貴重性という面においては、客観的に見ればいい大会だったんじゃないですかね」

年間最高試合賞を受賞したことについて、「あの試合が僕の中では最後だと思っているので、その最後の試合がこうやって評価されたということは凄く感慨深いし、嬉しいのは嬉しいですね」と言及

「現状、あの試合が最後という考えか」との問いには「まだ発表できていないだけの話なので、個人的にはそう(引退と)思っていますし、それがこういった形で表彰していただけたのは感慨深いですし、よかったなと思います」と事実上の引退を告白した

ゴロフキン戦から10か月

現在は「太らないようにしてますけどね。基本的にかっこわるいいきものにはなりたくないから」と節制しているという

今後の活動については、「できることをやるだけ。自分の思うようになかなかできないし、やれることをやっていくだけです」と話すにとどめた

村田選手は14歳だった中学3年からアマチュアでボクシングを始め、南京都高(現・京都廣学館高)では高校5冠を達成

東洋大に進学し、2011年世界選手権で銀メダルを獲得すると、2012年ロンドン五輪で金メダルに輝いた

2013年8月にプロデビューし、2017年10月に世界王座奪取

五輪金メダルからプロで世界王座に就くのは日本人初の偉業だった

世界的に層の厚いミドル級

体格に恵まれないアジア人には縁のない領域だったが、初防衛に成功したのも日本人初だった

2度目の防衛戦となった2018年10月にロブ・ブラント(米国)に敗れて王座陥落

しかし、2019年7月の再戦では魂の豪打でファンを沸かせ、王座奪還劇は感動を呼んだ

同年12月に再び初防衛

以降はコロナ禍で試合ができず、ゴロフキン戦が2年4か月ぶりのリングだった

プロ戦績は19戦16勝(13KO)3敗

(この記事は、THE ANSWERの記事で作りました)

世界で最も層が厚いといわれれ、体格の恵まれない日本人には無理とされていたボクシングのミドル級でアマ(五輪金メダル)とプロ(世界王者)で「世界」を制した村田諒太選手

とんでもない「世界」で彼は戦ってきました


101%のプライド

五輪金メダリストからプロボクシングの世界王者になるという快挙を達成した村田諒太選手
(日本人唯一)
しかも世界的に層の厚い、日本人最重量のミドル級の世界王者
(日本人では竹原慎二氏と2人だけ)
2回王座に就き、それぞれ1度の防衛も成功している
(日本人唯一)

上の書籍はそんな村田選手の考え方やエピソードを収録
posted by june at 04:34| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする