3日(現地時間)のNY株(ダウ平均株価)は、小幅続落
終値は前営業日比10ドル88セント安お3万3136ドル37セント
ハイテク株中心のナスダックは79.59ポイント安の1万0386.98
3日(日本時間)の日経平均株価はお休み
(この記事は、ネットニュースの記事で作りました)
2023年01月04日
第99回箱根駅伝は駒大が総合優勝、完全V、3冠達成
駒澤大(駒大)が2年ぶり8度目の総合優勝を果たした
記録は10時間47分11秒(往路5時間23分10秒、復路5時間224分1秒)だった
復路も制し、2位中大に1分42秒差をつけた
10月の出雲、11月の全日本に続く優勝で、1990年度の大東文化大、2000年度の順大、2010年度の早大、2016年度の青学大に続き、史上5校目となる同一年度の3冠を達成した
名将・大八木弘明監督の悲願がかない「令和の常勝軍団」となった
駒大は過去に2度、3冠に王手をかけていた
1998年度は順大に、2013年度は東洋大に敗れ、いずれも2位
「三度目の正直」となった
大八木監督は「昨年4月に子どもたちから“監督3冠やりましょう”と言われ、“よし、やるか”とこの1年取り組んできた。選手たちには感謝しています。ありがとう」と喜びをかみしめた
会見の最後に、大八木監督は3月での勇退を明かした
藤田敦史コーチが後任の監督となる
3冠は一筋縄ではいかない偉業だ
現行の距離で出雲は6区間45.1キロ、全日本は8区間106.8キロ、箱根は2日がかりで10区間217.1キロ
走る人数も距離も異なる条件下で、3つのレースに勝つことは難しい
選手層の厚さはもちろんのこと、当日のコンディションも含めた運も必要になる
往路3位から逆転優勝を狙った青学大は、6区でのブレーキもあって一時は8位まで順位を落とした
9区で区間記録に迫る快走で3位まで順位を上げたが、連覇はならなかった
駒大から7分15秒差だった
4位に国学院大、5位に順大、6位に早大、7位に法大、8位に創価大が続き、9位に城西大、そしてシード権の最後に東洋大が入った
東洋大は18年連続のシード権獲得となった
11位以下は、東京国際大、明大、帝京大、山梨学院大、東海大、大東文化大、日体大、立教大、国士舘大、関東学生連合(オープン参加※参考記録)、専大の順
なお、次回の2023年度大会(2024年1月2、3日)は100回目の記念大会となる
全国に門戸を開放し、10月の予選会には全国の大学が参加できる
シード10校に加え、予選会で10校の枠を争う全国大会となる
(この記事は、日刊スポーツの記事で作りました)
駒大が2年ぶりの総合優勝
往路、復路も制する「完全優勝」
しかも今シーズン(2022年度)は出雲、全日本、箱根を制し、「大学(学生)駅伝3冠」達成だ
なお、最優秀選手(MVP)の金栗四三杯は4区で区間新記録の東京国際大のヴィンセント選手(4年)が選ばれた
箱根駅伝は、日本陸上長距離競走の発展に多大な貢献をし、尽力した金栗四三氏によって創設された
金栗四三とは・・・
1911年のストックホルム五輪のマラソン代表選考の予選会で当時のマラソン世界記録で優勝・・・
1912年のストックホルム五輪にマラソンの日本代表で出場するも、酷暑で気を失い民家で介抱され、途中棄権(正式な届出なし)・・・
途中棄権との正式な届け出もされておらず、記録では行方不明扱いになっていた・・・
その後の五輪ではベルリンが戦争で開催中止、アントワープが16位、パリが途中棄権・・・
ベルリン五輪(結局は戦争で開催中止)の前には当時の世界記録を出すなどしたが、計4回(ストックホルム、ベルリン、アントワープ、パリ)(出場は3回、ベルリンは戦争で開催中止で出場していない)の五輪の機会では、地力はありながら(特にストックホルムとベルリン)メダルを獲得できず、「縁」がなかった・・・
こうしたオリンピック挑戦の間に、前述の箱根駅伝開催など日本陸上長距離競走の発展に大きく貢献・・・
現役引退後も日本陸上長距離競走の発展に尽力・・・
1967年、スウェーデン・ストックホルムのオリンピック委員会は、金栗は行方不明扱いで正式に途中棄権がされていないと完走することを要請・・・
金栗が完走すると「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピックの全日程を終了します」とアナウンスされた
1983年死去、92歳没
ドラマチックな話ですね
金栗四三の完走をもって「第5回ストックホルムオリンピックの全日程を終了します」のアナウンスも感動的だったし、ストックホルムオリンピック委員会が金栗氏が行方不明扱いだとして、54年後にマラソンの完走を要請したのも粋な計らいです
金栗四三
日本長距離走の発展に尽力した金栗四三氏の真実に迫る書籍
ストックホルム五輪で途中棄権し、行方不明扱いになっていた金栗氏に54年後に完走の要請があり、マラソンを完走したという感動のエピソードも・・・
記録は10時間47分11秒(往路5時間23分10秒、復路5時間224分1秒)だった
復路も制し、2位中大に1分42秒差をつけた
10月の出雲、11月の全日本に続く優勝で、1990年度の大東文化大、2000年度の順大、2010年度の早大、2016年度の青学大に続き、史上5校目となる同一年度の3冠を達成した
名将・大八木弘明監督の悲願がかない「令和の常勝軍団」となった
駒大は過去に2度、3冠に王手をかけていた
1998年度は順大に、2013年度は東洋大に敗れ、いずれも2位
「三度目の正直」となった
大八木監督は「昨年4月に子どもたちから“監督3冠やりましょう”と言われ、“よし、やるか”とこの1年取り組んできた。選手たちには感謝しています。ありがとう」と喜びをかみしめた
会見の最後に、大八木監督は3月での勇退を明かした
藤田敦史コーチが後任の監督となる
3冠は一筋縄ではいかない偉業だ
現行の距離で出雲は6区間45.1キロ、全日本は8区間106.8キロ、箱根は2日がかりで10区間217.1キロ
走る人数も距離も異なる条件下で、3つのレースに勝つことは難しい
選手層の厚さはもちろんのこと、当日のコンディションも含めた運も必要になる
往路3位から逆転優勝を狙った青学大は、6区でのブレーキもあって一時は8位まで順位を落とした
9区で区間記録に迫る快走で3位まで順位を上げたが、連覇はならなかった
駒大から7分15秒差だった
4位に国学院大、5位に順大、6位に早大、7位に法大、8位に創価大が続き、9位に城西大、そしてシード権の最後に東洋大が入った
東洋大は18年連続のシード権獲得となった
11位以下は、東京国際大、明大、帝京大、山梨学院大、東海大、大東文化大、日体大、立教大、国士舘大、関東学生連合(オープン参加※参考記録)、専大の順
なお、次回の2023年度大会(2024年1月2、3日)は100回目の記念大会となる
全国に門戸を開放し、10月の予選会には全国の大学が参加できる
シード10校に加え、予選会で10校の枠を争う全国大会となる
(この記事は、日刊スポーツの記事で作りました)
駒大が2年ぶりの総合優勝
往路、復路も制する「完全優勝」
しかも今シーズン(2022年度)は出雲、全日本、箱根を制し、「大学(学生)駅伝3冠」達成だ
なお、最優秀選手(MVP)の金栗四三杯は4区で区間新記録の東京国際大のヴィンセント選手(4年)が選ばれた
箱根駅伝は、日本陸上長距離競走の発展に多大な貢献をし、尽力した金栗四三氏によって創設された
金栗四三とは・・・
1911年のストックホルム五輪のマラソン代表選考の予選会で当時のマラソン世界記録で優勝・・・
1912年のストックホルム五輪にマラソンの日本代表で出場するも、酷暑で気を失い民家で介抱され、途中棄権(正式な届出なし)・・・
途中棄権との正式な届け出もされておらず、記録では行方不明扱いになっていた・・・
その後の五輪ではベルリンが戦争で開催中止、アントワープが16位、パリが途中棄権・・・
ベルリン五輪(結局は戦争で開催中止)の前には当時の世界記録を出すなどしたが、計4回(ストックホルム、ベルリン、アントワープ、パリ)(出場は3回、ベルリンは戦争で開催中止で出場していない)の五輪の機会では、地力はありながら(特にストックホルムとベルリン)メダルを獲得できず、「縁」がなかった・・・
こうしたオリンピック挑戦の間に、前述の箱根駅伝開催など日本陸上長距離競走の発展に大きく貢献・・・
現役引退後も日本陸上長距離競走の発展に尽力・・・
1967年、スウェーデン・ストックホルムのオリンピック委員会は、金栗は行方不明扱いで正式に途中棄権がされていないと完走することを要請・・・
金栗が完走すると「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピックの全日程を終了します」とアナウンスされた
1983年死去、92歳没
ドラマチックな話ですね
金栗四三の完走をもって「第5回ストックホルムオリンピックの全日程を終了します」のアナウンスも感動的だったし、ストックホルムオリンピック委員会が金栗氏が行方不明扱いだとして、54年後にマラソンの完走を要請したのも粋な計らいです
金栗四三
日本長距離走の発展に尽力した金栗四三氏の真実に迫る書籍
ストックホルム五輪で途中棄権し、行方不明扱いになっていた金栗氏に54年後に完走の要請があり、マラソンを完走したという感動のエピソードも・・・