東京都出身
所属事務所が同日、公式サイトで報告した
今年1月に脳梗塞を発症し、リハビリを重ねて8月に高座復帰を果たしたが、軽度の肺炎でダウン
その後肺炎は軽快し肺がんの治療を再開した矢先に、帰らぬ人となった
所属事務所は「8月下旬の入院以降、肺炎は軽快し、肺がんの治療を再開した矢先のことでした。遺族、関係者一同、大変急なことで、今はまだ悲しみに向き合うこともできず、対応に追われております。葬儀は近親者のみで行わせていただき、後日、お別れの会を催す予定でございます。関係者のみなさまへは改めてご案内申し上げます」とした
8月11日の国立演芸場
円楽さんは高座復帰に涙を流し、20分ほどのマクラに続けて古典落語「猫の皿」を演じた
満員の客席から割れんばかりの拍手が起こり、円楽さんも感無量の表情を見せた
同30日には独演会も予定したが、26日に息苦しさを訴え、主治医による検査の結果、肺炎という診断
入院を余儀なくされて、やむなく独演会も中止せざるを得なくなった
晩年は病との闘いが続いた
2018年に肺がん、2019年に脳腫瘍、2020年には肺がんの再発と初期の大腸がんが見つかり、そして脳梗塞
「死ぬまでやります」と宣言して、体調回復に努めていた
家族にみとられて師匠の五代目や桂歌丸さんが先に住人となった天国に旅立った
1970年4月、青山学院大学在学中に五代目円楽さんの鞄持ちのアルバイトを始め、付き人を経て正式に入門した
前名の「楽太郎」は大師匠の六代目三遊亭円生さんが命名した
1976年に二つ目に昇進し、翌1977年8月28日、六代目三遊亭円窓の後任として「笑点」にレギュラー入り
番組では「腹黒」「友達がいないキャラ」を担当し、毒の利いた政治批判や時事ネタで座布団の獲得枚数を増やしていった
頭髪の薄い歌丸さんをネタにしての言い争いは見どころの1つだった
もちろん大の仲良しだったからこそできた丁々発止で、歌丸さんの死後最初の放送となった2018年7月8日の追悼大喜利では「ジジイ!早すぎるんだよ!」と涙ながらに叫んで故人をしのんだ
1978年に真打昇進問題を機に落語協会で分裂騒動が起こると、師匠と共に協会を脱退し、落語三遊協会所属となった
1980年に三遊協会が解散し、大日本すみれ会(現・五代目円楽一門会)に所属
1981年3月に真打ちに昇進した
持ち前の人脈と企画力を生かし、2007年から「博多・天神まつり」のプロデュースを務めていた
2010年3月1日に六代目三遊亭円楽を襲名
全国区の人気を誇るとあって襲名披露興行は同年3月3日の高知県立県民文化ホールを皮切りに12月まで全国80カ所以上で行われ、大盛況だった
2016年には写真週刊誌「フライデー」に40代女性との錦糸町ラブホテルデートを撮られ、会見を開いて不倫を認めた上、関係を包み隠さず語り、「円楽改め老いらくと呼んで欲しい」「今回の騒動とかけまして、東京湾を出て行った船と解きます。(その心は)コウカイの真っ最中です」とオチまでつける神対応がマスコミからも評価された
2017年からは客員として落語芸術協会に加入が認められ、襲名披露興行をのぞいて、落語協会脱退以来39年ぶりに定席興行に出演を果たした
その後は闘病しながらの仕事が続いたが、2021年6月に東京・有楽町よみうりホールで弟子の伊集院光(高座名は三遊亭楽大)と二人会を開催し、ファンを喜ばせた
(この記事は、スポニチアネックスの記事で作りました)
楽太郎さん時代に風貌がマラソンの瀬古俊彦さんに似ており、そのことをネタにもしていましたね
歌丸さんとの掛け合いでは「愛あるいじり」でファンを楽しませました
円楽さんの急死は長年レギュラーを務めていた「笑点」のメンバーにも衝撃が走りました
復帰へ向かっていると思っていたので、円楽さん急死のニュースは驚きました
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「笑点」の大喜利での六代目円楽も魅力だが、落語家・円楽にも魅力がある
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