2022年02月14日

北京五輪・スキージャンプラージヒルで小林陵侑選手が銀メダル!

日本人選手として初めて五輪個人2冠を狙った小林陵侑選手が、ラージヒルで銀メダルに輝いた

6日のノーマルヒルに続くメダル獲得となった

決勝1本目は最長142.0メートルを飛び、テレマークもしっかり決めて147点でトップに立った

2本目に向かう前に「もう1本あるんで集中したい」

2位につけるリンドビク選手(ノルウェー)とは2.2点差という僅差

2回目も138.0メートルの大ジャンプを披露した

だがリンドビク選手が2本目に140.0メートルを飛び、合計296.1点を挙げて逆転し、金メダルを射止めた

陵侑選手は6日のノーマルヒルで優勝

1972年札幌五輪70メートル級(現ノーマルヒル)の笠谷幸生氏、1998年長野五輪ラージヒルの船木和喜氏以来、日本人3人目の金メダルを獲得した

その歓喜から6日、今度は得意とするラージヒルでも偉業に挑んだ

1924年から100年近く続く五輪のジャンプ競技で、個人2冠は過去3人(のべ4度)しかいない

1988年カルガリー大会で70メートル級、90メートル級(現ラージヒル)の個人2種目に加え、団体90メートル級の計3種目で金メダルの「鳥人」マッチ・ニッカネン氏(フィンランド)

2002年ソルトレーク、2010年バンクーバー大会の2度達成した「ハリーポッター」ことシモン・アマン氏(スイス)

2014年ソチ大会のカミル・ストッフ選手(ポーランド)
(ストッフ選手は2018年平昌大会のラージヒルも制し、ニッカネン氏に並ぶ金3個を獲得している)

それら伝説のジャンパーに肩を並べるまでに成長した

陵侑選手は1998年長野五輪のフィーバーぶりを知らない

1996年生まれでまだ当時1歳3カ月だった

新たなブームを巻き起こそうとしている陵侑選手は「過去のものになりつつあるジャンプのファンをもう1回呼び戻したい」

そのためには結果が必要と理解し、自らが起爆剤となってジャンプ人気を高めたい考えだ

今季はワールドカップ(W杯)で7勝を挙げ、年末年始の伝統の4連戦「ジャンプ週間」を制すなど絶好調

その勢いのまま五輪に臨み、優勝争いを演じている

次は14日の男子団体で、1998年長野五輪金メダルの再現を狙う

参考・・・

冬季五輪日本選手1大会複数メダルは過去8人が達成しジャンプでは3人

1大会最多タイ3個のメダルを獲得したのが1998年長野五輪の船木和喜氏
LH、団体で金、NHで銀

同五輪で原田雅彦は団体金、LH銅

2014年ソチ五輪で葛西紀明選手がLH銀、団体銅

ジャンプ以外では

1大会3個を獲得したのが2018年平昌五輪女子スピードスケートの高木美帆選手
団体追い抜きで金、1500メートルで銀、1000メートルで銅

2個は3人

1994年リレハンメル五輪で複合の河野孝典氏

2018年平昌の女子スピードスケートで高木菜那選手、小平奈緒選手

金を2個獲得したのは船木氏と、高木菜選手の2人だけ

(この記事は、日刊スポーツの記事で作りました)

小林陵侑選手は個人2冠を狙いましたがならず・・・

でも銀メダル獲得です

あの「鳥人」ニッカネン氏などに並ぶ可能性があったのは凄いです

14日の団体での金メダル獲得に期待です

長野五輪の感動よ再び・・・


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無名のジャンパーであった小林陵侑選手をトップレベルに変えたメンタルトレーニング
本人の努力と才能もあったでしょうが、このメンタルトレーニングも大きいと思います



ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜

長野五輪のテストジャンパーたちの物語
彼らのジャンプでの成功が日本のラージヒル団体の金メダルへとつながった
(1本目のジャンプで日本は4位、猛吹雪で競技が中断し、このままでは日本のメダルの可能性が消える!
審判団から提示されたのは「テストジャンパー25人全員が無事に飛べたら競技を再開する」との条件だった)
posted by june at 04:29| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする